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2003年07月13日(日) クラッシックは苦手

僕は音楽以外に何の取り柄もない子供だった。

ピアノ教師だった母親の方針で3歳の時からピアノを習わされていた。
習わされていた、などと言うのは僕はピアノが好きだったワケではないからだ。
3歳からはじめたピアノは結局、高校2年生まで、つまり17歳まで続けた。
おかげで今でも絶対音感はある。

僕はクラッシック音楽が大嫌いである。
今でも全く聴かない。
僕は17歳までずっとクラッシックピアノを弾きつづけていた。
マシンのように弾き続けていた。

僕はクラッシックが大嫌いだった。
僕は17歳までの間、14年間もずっとクラッシックピアノを弾き続けていた。
毎日2時間の練習が義務付けられていた。
僕はピアノが大嫌いだったけれど、練習を続けていた。
それしか、僕にできることは何もなかったから。

僕はお勉強ができるわけでも、スポーツができるわけでもない子供だった。
音楽しかなかったのだ。
僕が僕であることを他人に示す手段は音楽しかなかった。

音楽しかない割には、僕の演奏能力はロクでもなかった。
耳は良かったのだけれど、演奏能力はひどいものだった。
嫌々、演奏している音楽が美しいはずがない。

僕は大嫌いなクラッシックピアノを弾き続け、大嫌いなのに、そこでしか他人から認められることはなかった。

17歳になった頃、僕はピアノを辞めることを決意した。
大嫌いなピアノを、クラッシックに自分の人生を賭けることを拒否した。
大学も芸大をめざしていたのだけれど、高校3年の春になって普通の大学にコース変更をした。
それまでの芸大受験コースから、突如、普通の受験コースに切り替えた。
僕は音楽は好きだったけれど、クラッシックは大嫌いだったのだ。
大嫌いなクラッシックに人生を賭けたくなかった。

その後、何とか普通の大学に進んだのだけれど、結局、僕は音楽でしか自分を表現できないことにすぐに気づいた。
僕はスタジオとライブハウスで大学時代の時間の大半を過ごした。
クラッシックは大嫌いだったので、ロック、テクノと僕はクラッシックからできる限り遠い音楽を創りつづけた。
大学2年の時にレコーディングが決まり、19歳の時にレコードを作った。

就職は音楽とは何の関係もない仕事だった。
あえて音楽を遠ざけつづけていた。
今、僕は音楽とは何の関係もない仕事をして、それなりの生活をしている。
音楽以外に何の取り柄もなかった少年だった僕は、音楽とは何の関係もないかのごとく生活をしている。

僕のマンションには生ピアノがある。
一人暮らしのマンションに生ピアノを置いている人間などほとんどいないだろう。
僕はそのピアノを弾くことはほとんどない。
だけど、ピアノのない生活は考えられない。
今の僕は音楽から離れているけれど、結局のところ、音楽から逃げられないのだ。

オチとして、クラッシックの良さを再確認した、と言いたいのだけれど、やっぱりクラッシックは苦手だ。
音楽は好きだけれど。




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