99745..チェリー
自立のいろいろな形。
2008年05月18日(日)
先週は、母の日でした。

私は、今年は、プレゼントも、何もできずに…。。。
来年こそは、自分の収益でプレゼントしたいです☆

年金&親のすねかじりの身分では、親も喜んでもらえないかなぁ〜と、毎年感じてもいたので…。。。



両親の同級生が、結婚&初孫誕生のラッシュみたいで、親にとっては、複雑な心境なようです。

私は、1人っ子というのもあるんだけどね…。



私は、病気しながら、障害を持ってからも、自立=家を出ていくこと。
を、ずっと考えてきました。

今は、近くの別宅に暮らしていますが、実質的には、親の扶養下には変わりなく、ヘルパーなどの援助も少なくて(お風呂くらいしかない、最近は外出支援もなかなか利用できにくい)、母親が主な介護者になってます。



まずは、家を出たかったのは、親の介護負担を軽減したかったのと、私自身、親からの束縛から距離を開けたかった。
やはり、成人してからも、親に介護してもらってる・与えてもらってばかりの立場というのは、重荷に感じてしまい、対等ではないと感じる。
(美的な精神的な重荷のみではなく)

二十歳を過ぎれば、親と、大人と大人として、対等な関係を築きたかった。



もちろん、1人暮らししたからと、何だって、自由になるわけはない。
それは、わかってる。
他人との介護関係を築くことは、大変だろうし…。
人間、どこにいても、我慢は付き物だ。
だけど、こうしたい!こうなりたい!と思い描くことは自由だし、しなくてよい我慢(自分で自分を追い込んでしまうような…)を、あえて選ばなくてもいいのでは?とも思ってみたり…。



障害が進んで、自立のチャンスを逃してきて…。

その間に、親も、年を重ねて。

自分も、年を重ねて。


だけどね、あの頃から(家を出たかった)、ちょっとずつね、考えが変わってきたかなぁ…。
(もちろん、時代も変わって、福祉に厳しくなったのもあるし、金銭的な現実もあるけれど…。)


家から出て、1人暮らしをすることも、立派な自立だけど、

親の側にいて、娘という立場で、関わりを保ちながら、関係を築き続けてくのも、また自立なのかな〜と。



だけど、親と、関わったら関わったで、ストレスにも感じる日々で、また家を出て(物理的に今みたいに近くで暮らすのではなく、物理的・精神的に開ける距離)、自立した方がいいのかな〜と感じてもきたり。。。



親が、普通の人生を送りたかった思い(私が結婚して、子ども生んで)とか、結婚したことや私を生んだことを後悔している心境を、間近で見るのは、ほんと、めちゃ辛いなぁ…と。

私自身が、病気や障害と共に、悩んで、苦しんで、だけど、この体で、生きて行こう!と、やっと思えた気持ちが、後ろ髪引かれるというか…。



生まれちゃって、ごめんなさい…。



と、責めてしまうだけの結果になるだけならば…、

こんな自分は、ダメになっちゃうんじゃないか…?とか。



やっぱり、両親には、せっかく生んでもらったんだしね。


できるならば、生まれたからには、悩んだと同じくらい、以上に笑いたいし、前向きな生き方していきたいから。



でも、やはり、何だかんだ言いながら、現状では…日常生活は親に頼っていて、もうちょっと障害が軽ければ…とか、トイレさえ行けたら…とか、もう少し腕が上がったら…とか、口実に使ってるのかもしれない。。。



自分が、どうしたいのか?わからなく、何に我慢する道を選びたいのか?さえ、わからない。
(自由ばかりな道は絶対になく、何かを犠牲にしないといけないと、感じているので。)



障害を持ったお子さんがおられるご家族の関係は、それはもちろん、ケースバイケースで、様々だと思うのですが…、親が、子どもを生んだことに、後悔してるケースだって、あると思うんだよね…。

だからって、我が家は、私は可愛いんだけど、病気は治って欲しくて、必ず、来年には、歩けるようになると信じてる、って感じなんだよね。

今の私は、病気や障害を含めての、私なのにさ…。



そりゃあ、子どもに病気や障害があったからこそ、苦労もあっただろうし…。
(病気は、自分で選んだ道ではないから)したくなかった苦労だったんだろなぁ…と、親にとっては。

だけど、生まれた私自身は愛してるけど、病気と障害という部位は、憎い…。

気持ちも、まとまらないくらい、親という立場としては、複雑な心境なんだろうね。。。

私には、わからない。わかってあげられないことが多過ぎて、何も言えないし、どうしたらいいのか?わからないし、むしろ何もできない。。。



私は、幼い頃から(10才くらい)、自分で子ども育てられるのかなぁ?とか、不安で自信がなくて、そんなことに悩んでる、変な子どもだったんだけど…。

とにかく、自分自身が、母親になれる程、精神的に熟せるのか?不安で、自信がなかったなぁ〜。
実際に、自分が、二十歳になり、成人した時も、「まだまだ自分は、子どもだ。母親にはなれない。」と実感したし…。

だけど、うちのお母さんに聞いたら、毎日を生きることだけに熱中してきて、そんなこと考えたこともない。
結婚して、赤ちゃんができたから、生んだだけのこと。
母親役は、実際に生んでみたら、誰もができるはずと、疑ったことなんかない。

と、言う答えが返ってきたし…。
みんな、普通は、そうなのかなぁ〜とも思って…。


だけど、うちの親は、幼い頃から、スキンシップしたり、甘えさせてくれるとか、あまりなかった…なぁ。
子どもの頃から、あなたは子どもだよ〜とは扱わなくて、早期に、自立を目指させるのが、育児方針だった。



子どもって、実質的な育児の部分のみではなく、精神的な育児って、とても大切だと感じるのね。
そういうのは、手間もかかるし、面倒なものだとも感じる。
私は、両親が共働きだったというのもあるけれど、ずっと寂しい思いをしてきた。



親には、人生の流れがあって、だけど、私の病気や障害は、予定外の出来事で、そういうのが(私の病気)邪魔だったり、仕事もやめなきゃいけなくなったり、たぶん想像してた…結婚や人生観でなくなっちゃったんだろね。。。

そういう両親の辛い気持ちが、しんどくなるというか、重くて、息苦しくて、ここからいなくなりたくなる時が、何度も何度もあったんだー。



でも、両親は私を愛してくれてるのわかるし(私の病気や障害の部分は憎んでるけど)、だから生き続けたいと思うし、何より、自分の人生を楽しみたいしね。

自分の人生を思うように送れなかった…と、両親がほんとに感じさせてるならば(それが私が原因が大きいならば)、私は、「自分の人生を楽しみたい!」なんて、なかなか大きな声で言ってはいけないのかもしれないね…。。。



だけど、私は、この体で悲しいこともあったけど、この体で楽しめることもあるんだと、経験したいし、だからこそ、生きていきたいと思うんだ。





話は変わりますが…母の日に、悲しい切ない思いをしている…、娘や息子、または親という立場の人だっているんだよね、社会には。

早くに、親を亡くした友人もいる。
親と離婚して、会えない子もいる。
親とうまくいってない子や、いろんな事情が、世の中にはある。

母への感謝の気持ちって、感動的な思いだけど、反面…冷たい社会でもあるなぁ…って感じたり…。
別にイベントにしなくてもいいじゃん?ってね…。

イベント的に、「お母さんありがとう!」と、わかりやすい愛の表現では、伝えられないくらいの…、

日々のいろんな関わり方や、言わないけど、遠くから思ってる、お互いの陰ながらの愛とか、複雑なもんだと思うんだけどなぁ〜家族や親子って。。。

親が絶対的にえらい、尊敬する対象という考えも、私はあまり共感できない…。
世の中に、えらいものや人は、存在しないと思ってるから…。

今自分が、ココにいること。
または、人生の先輩として、表面上の言葉だけではなく、身を持って、教えてくれたこと。

その思いに、とっても感謝してる。
だけど、私は、親が今…、人生に後悔してるならば、私は、後悔しない生き方をしたい。
そうできるように、むしろ、生んでくれた、育ててくれた、命を大切にしたいなぁ〜。

親にだって、間違いやいけない部分もあり、もしも、私が親になったとしても、そうなんだろうね。
だから、もちろん尊敬されたくないし、私が後悔したことは、絶対に子どもには、同じことはして欲しくないと、願うと思う。
そういう部分は、親を嫌って欲しいと思うと思う。

今は、子どもいなく、子育て経験もないので、私が語ることは、想像でしか有り得ないのだが…。



生きるってほんとにいろんなことあるし、大変だけど、近頃は、これが醍醐味だ!と感じるから、悩むことも、苦痛だけではなくなったのです…(−ωー)

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