| 2012年04月13日(金) |
吉本隆明著「文学と非文学の倫理」読みかけ |
吉本隆明が先日逝去したが、以前何かを読み始めて挫折した記憶があるばかり。たまたま図書館の「本日返却された本」の棚で見かけたので、記念に?読んでみようと借りたまま、そのままにしていたが、返却期限が先週末で、しかも予約がはいっているらしい。なにがなんでも、ちょっとでも味見をしようと今日、会社に持ってでかけた。開いてみれば、江藤淳との対談集である。しかし、日本語であれば、とりあえずどんな本でも少しは理解できそうなものだが、1ページ目から歯が立たない。「文学と思想」対談は1965年だ。時代的背景もさっぱりわからないのだから無理はないとあきらめる。次の「文学と思想の原点」は江藤が当時上梓したばかりらしい「漱石伝」の話から始まる。私もこれは読んだかもしれない。漱石の嫂の登世の話になったため、私もようやく興味をそそられた。一時期、漱石の秘密の恋愛相手について何冊か読んだ記憶がある。大塚という友人の妻であったとか、嫂であったとか、いろいろ説がある。「あるだけの菊投げ入れよ棺の中」という句を作ったのは大塚の妻の死に際してだったか。神田の井上眼科でであった女性が誰であったかも謎である。そういった秘められた想いがどう作品に投影されていたのか。このあたり、非常に興味深い。で、対談は病の登世を漱石が抱いて2階に上がった話や、その登世がなくなって一周忌も待たずに兄は後妻をもらうが、漱石はその入籍の10日前に分家する。兵役逃れというっ説もあるようだが、江藤はそれを登世を思う心情の激しさを重要視すべきだと気語る。そして登世の以心伝心でそれなりの愛情の表現をしていたに違いないという。その確信があってこそ「夢十夜」「それから」が生まれたのだ。こういう話は私も非常に好むものである。 英国から戻ってきた漱石の唯一の精神的退路が嫂だった、救済だったおいうことが江藤にとってひどく意味のあることであったようだ。「文学と非文学の倫理」1988年の対談。非常に興味深いことに、その当時、デビューして数年たつ村上龍と村上春樹について語っている。1979年に村上春樹が「風に歌を聴け」で、村上龍は1976年に「限りなく透明に近いブルー」でデビューしたと注釈がついている。そうそう、私が卒業する1年前に、所属していた文芸部で村上龍が芥川賞をとった直後に読書会をしたのだった。こんな小説が芥川賞をとるとは!と驚いたものだが、私と一緒にしては申し訳ないが、江藤も当時かなり厳しい批評をして「サブ・カルチャー」だと言ったそうだ。(サブカルチュアについても注釈がついていて、サンデー毎日に「村上龍 ・芥川賞受賞のナンセンス−サブカルチュアの繁栄には文学的感銘はない」という談話を発表した。「サブカルチュアというのは、地域・年齢・あるいはここの移民集団、特定の社会的グループなどの性格を顕著にあらわしている部分的な文化現象で、ある社会のトータルカルチュア(全体文化)に対してそう呼ばれている。つまりあの作品は年齢的には若者、地域的には在日米軍基地周辺、人種的には黄黒白混合の、一つのサブカルチュアの反映だと私は考えている。ところで文学作品は、ある文化の単なる反映ではなくて、少なくともその表現になっていなければならない。サブカルチュアを素材にした小説があってもいっこうに構わないが、そこに描かれている部分的なカルチュアは作者の意識の中で全体の文化とのかかわりあいの上に位置づけられていなければならない。そうでなければ、その作品は表現にならない。つまりサブカルチュアをそざいにした文学作品が表現になるためには、作者の意識は一点で、そのサブカルチュアを超えていなければならない。その中に埋没していたのでは、ただの反映にしかならないのだ」ついつい全部書き写してしまったが、最近の芥川賞の作品を是非江藤淳に読んでもらいたかったと思った。あと面白かった一節が今引用しようとしたら見つからない。確か歴史家は歴史が作られるというが、実は、時代がどんどん消滅しているに過ぎないのではないかと言っていて、ひどく同感した。
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