日々の泡

2002年11月11日(月) ダンスダンスダンス(上巻)途中

朝7:14国分寺発の特別快速の中央線
月曜日は特に満員。 そのぎゅうぎゅう詰めの列車の中、ダンスダンスダンスの上巻を読む。 滂沱の涙。 どこを読んでもわが身のことのように思われて泣けてくる。

下巻を先に読んでしまっただけに、筋を追うことなく内容を味わうゆとりがあるからかもしれない。

設備の整った現代的なドルフィンホテルから、ふとした拍子に「いるかホテル」に移動し、主人公は あの「羊男」に再会する。
その羊男の台詞を長いが引用する。

「あんたはこれまでにいろんな物を失ってきた。 いろんな大事なものを失ってきた。それが誰のせいかというのは問題じゃない。問題はあんたがそれにくっつけたものにある。 あんたは何かを失うたびにそれに別の何かをくっつけて置いてきてしまったんだ。まるでしるしみたいにね。 あんたはそんなことをするべきじゃなかったんだ。 あんんたは自分のためにとっておくべきものまでそこにおいてきてしまったんだな。 そうすることによってあんた自身も少しずつ磨り減ってきたんだ」

ここの箇所を読んで私は、今までに失ってきたものを思い出した。そして私がそれにくっつけてなくしてしまったものを想った。

愛情や希望や信頼という大事なものを。

例えば、今年になって逝ってしまった14年間一緒に暮らした2匹の猫。
私がなくしてしまったのは、猫という存在だけではない。 小さな生き物を大切にしたい、守りたい、幸せにしたい、慈しみたい、そして懐かれることによって得られていた信頼されるという心地よさと責任感。
そんな面倒な言葉でなくたっていい。 生き物を可愛がるという気持ち。
そしてそんな小さな存在から大きな慰めをもらっていた。
そんなものを根こそぎ奪われてしまった。
私は今、失うことへの恐怖から、もう生き物を飼うことができない。
硬直している私を日々感じる。

もう一度幸せになりたかったら勇気を出して、また猫を飼うしかないのだろうけれど、いまはその勇気がでない。

そんな個人的な事情は別として、村上春樹は、不思議にどの小説においても私のウィークポイントを的確についてくる。 それは、加藤諦三のように、これでもかというように私の弱さをひきずりだしていくとのは違い、硬直してしまったものを、あたかも「みんなそうなんだよ」と優しく解きほぐしてくれるような感じだ。 私は暖かい涙を流し続ける。

この涙 一滴一滴が、いつか私のこわばりを溶かしてくれるだろうか。



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