日々の泡

1998年08月10日(月) 車谷長吉 赤目四十八瀧心中未遂

恋愛小説
作者:現代 日本
出版社・値段: 文藝春秋

いっつも迷ってしまうこのジャンルという項目...まあ心中未遂だからここでいいのかな〜っと...。直木賞受賞作品。 この夏、暇に任せて芥川賞2作品、直木賞作品1作を読みましたが、不思議なことに3作品とも底辺にいきる人間を描いた物...。 これって流行なのでしょうか。 だったら私が次回、ホームレスの段ボール生活をしている女性の話を書いたら賞が貰えるのでしょうか...まさかと思いつつもそんなことを思わず考えてしまうほど、これまた底辺に生きる男の話。 それもお定まりのごとく、かつては広告代理店に勤めるサラリーマンだったらしい。 そんな人間がいかにも自分は今、身を持ち崩していて、これこそ自分らしい生き方なのだ、なんていう感じでそばにいられたら、それこそ、もともとそこにいた人間にとっては迷惑以外の何ものでもない。 そんなあれこれを描いた小説である。いまどきの小説家はここまで具体的に底辺を描かねば自分の存在の不安定さを受け入れることができないのだろうか。 このいまの不安定さを受けいるれためにはそこまで墜ちなければいけないのだろうか。 そこでしか人間は安らぎをえることができないのだろうか。思わずそんなことを考えざるを得ないほど、今夏の文学賞は揃って底辺に墜ちた人間を肯定をもって描いていた。しかし、果たして3作のいずれかが底辺を書き得たとはとても思えない。底にいる人間には文学など、到底書き得るものではないと思うからである。ものを書こうと思った瞬間、人間は自己顕示欲の塊になってしまう。そういうものではないだろうか。 とにかくこの心中未遂物、底辺にある女は描きやすいが、描かれた底辺にある男はどこか嘘臭い...とふと思った。 宴会帰りの頭で一所懸命書いてみましたが(ここに書くと女神様扱いしていただけるので)とにかく今夏3作品を読んでみてまたしても純文学と大衆文学の違いは一体どこにあるのだろうかと思った。 週末の産経新聞の書評には、人間に生き方についての真摯な思惑を描いた物が純文学ということになるようだが、それにはかなり異議のあるところである。尻切れトンボですが取り敢えず....


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