毎日が穏やかな私の日々、というのはうそ臭いがかなり静かな毎日をおくってきた。 そこへ突然、老父の入院と病名の告知が7月にあった。 末期の肺がん 肺炎を起こして救急車ではこばれた。 7月の夏休みが始まってまだ数日といったところだ。
わたしは実家とは疎遠になっていた。正月でもここ何年かは顔を出していない。よほどのことがない限り出向かないので、何があっても知らない。 弟夫婦と父母が同居してもう、16年以上たっているので、いってももはや私のいるところもないのだし、、その間にいろいろな騒ぎもあったので私は自分の家族だけをよりどころにしてきた。自分の家庭が居心地のいいものになってきたとここ2年間は心から思える。(それは、夫と喧嘩もするしこどもはこどもで心配のたねはつきないのだが、、)
同じ県内に住んでいるので、こ一時間もあればいけない距離ではないが、とにかく近寄らなかった。
幼い頃はよその家のことはわからなかったが、かなり普通じゃない家庭だった。それはこの歳になればもう引きずるものもないと思っているが、わたしの中ではあまりいい思い出がないから、自分で記憶を薄れさせて来たのかもしれない。
おいおいこの日記は父との別れの記録になって行くだろう。 40を過ぎてから、いつも死を想ってきたので父の死は来るべきものがきたという感じだった。心が波立ったり騒いだりしていない。
むしろ、その感情のほうが今のわたしには救いといえよう。 2年ほど前から私の中では父は死に限りなく近く、というかすでに死んでいたような気がする。 ソレがどこから来ているのかはまた書き進めていくうちに答えが出るかもしれない
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