かっしーのつぶやき
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再演成った「そして誰もいなくなった」、チャーちゃんの舞台姿を久しぶりに久しぶりに見て、どうして自分が匠ひびきという人にここまで惚れたのか、その理由が改めて、骨の髄からよく解りました。
思えば1999年6月から2002年6月までのきっかり3年の間、匠ひびき見たさに、ただそれだけのために、台詞も演出も役者も何一つ変わらないまったく同じお芝居とショーをそれこそ一公演で自分の年の数ほど繰り返し繰り返し観に行ったものでした。 人に話せば「どうして同じもの何度も見るの?飽きないの?」と不思議がられたけれど、一度観れば二度、二度見れば三度と、何度でも何度でも観ずにはいられなくなるのは、私にとってもはや当然を通り越して必然の域のことだったのです。 どうしてこんなに私は匠ひびきの身体表現に惹かれて惹かれて仕方がないのか、どうしてここまで彼女の身体の描き出す線をこの目で追うことに耽溺せずにいられないのか、その謎が自分でもはっきり知りたくて、メルロ・ポンティの『知覚の現象学』まで読んで考えてみたけど結局はっきりとは掴めなかった、その訳を、今日、久しぶりに匠ひびきのダンスを観ていて、それこそ春の光の前に氷が一気に融けてしまうように、あっけなく理解できました。
舞台の上で、匠ひびきが生きている、それだけでいいんでした。
シンプルな結論です。でも真実です。 どんな理屈も哲学も、彼女のステップ、彼女の裾さばき、彼女の首の線、腕の線、紫電一閃・ものみな殺す視線の前には、一切意味を成さなくなるのでした。
私にとって、匠ひびきは、そういう人なのです。
昼の部が終わって劇場を出るとき、 「ああよかった、夜の部であの姿、あのダンスがもう一度見られるんだ」 と思った瞬間に私の背筋を駆け抜けたあの幸福感、視神経が美味なるもので充溢するような、あの感覚。 それこそが、私が匠ひびきを何度でも何度でも観ずに行かずにいられないそのエネルギーの原泉なのだと思います。
そしてそれから、その匠ひびきに、あの短い秒数の中であんなにも彼女の佳さを引き出しうる振り付けを施した振付担当の広崎うらん氏はやっぱり骨の髄まで振り付けのプロなんだと改めて感服しました。 ありがとう、うらんちゃん(涙)
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