ミドルエイジのビジネスマン
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2012年04月08日(日) 一度だけなら

畑の脇には小さな森がある。農作業の合間にお日様が斜めに射す様子を眺めたり、風のざわめきや野鳥のさえずりを聞いたりするのは楽しみだ。久しぶりに畑に足を向け、早くも立派に成長したアサツキをつまんだり、まだ芽は出ないかとジャガイモの畝を見たりしていると、トランクの蓋を開けたまま、枝のついた木を満載した乗用車が駐車場に乗り込んできた。

悪い予感のとおり、ひとりのオジサンが、育ちすぎて持て余した自宅のヒバの生垣を何本も切って森に捨てようとしているのだ。天気の良い日に気持ち良く時を過ごしていたのに、なんと間の悪いことだろう。一度だけなら、見て見ぬフリをしようと思ったが、幹が腕の太さほどに育ったヒバの木を5〜6本も森の中に持ち込んだオジサンは、トランクを開けたまま帰って行った。

案の定再び荷を積んで現れたので、捨てても置けず、粗大ゴミの不法投棄になりますよと声を掛けた。土に還るからいいと思ったと、一旦屁理屈をこねたが、捨てようとしている場所はそもそもご自分の土地ではないでしょうと返すと、持って帰るという。ヒバの山が土に還る間もなく、森が粗大ごみ廃棄場になるのは目に見えている。大きな車に乗っていて、廃棄のお金がない訳でもないだろうに、平気でああいうことをするかな。

一度だけなら、許してあげる。昔の歌謡曲の歌詞のような、そんな気になったのは、どこかでオジサンがこちらのことを知り、今度は謂れのない悪口を広げるかもしれないなどと一瞬心によぎったからだ。

商店街の食品店など、近所の人を相手にしている小商いではこんな経験はしょっちゅうあるに違いない。子供ではなく、いい年をした立派な身なりの近所の人が万引きをしているのを発見したお店のオバサンなら、どうするだろう。相手がよく買い物をしてくれるお得意さんだったら、あえて見逃すこともあるだろう。ソッと胸にしまわれたままの小さな罪が世間には思ったより沢山あるのかもしれない。


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