読了日記

2006年06月26日(月) 「星の王子さま : 新訳」


「星の王子さま : 新訳」
(アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ著,宝島社)



内容:砂漠に不時着した「私」は、そこで小さな星からやってきた男の子に出会う。…なんて内容説明をしたら怒られそうな気がするなー。小説。


Iサンより借り物。

思春期に一度読んだ事があるのですが、当時はどこが面白いのかちっっっとも分からず、何で世界中で読み親しまれているのかも理解できず、今となってはどんな内容だったかもまっっったく憶えておりませんでした。

当時より読みやすかったですが、やはり何処が面白いのかも何故ここまで読み親しまれているのかも全然わかりませんでした。
↑当時より読みやすかったのは、当時は「面白いよ!」と言われて期待して読んだからで、今回は面白いとは思わなかったから気負い無く読んだからかと。

あくまで私にとってですが、メッセージとストーリィが不協和でした。夫々どちらかに問題があるというわけでなく、ですね。
…えーと、私、焼きそばに紅生姜を乗せるの、大嫌いなんですよ。市販のものでもお店に食べに行っても必ずと言っていいほどついているから、実はベストマッチなのかもしれませんが、私は避けるか先に食べてしまいます。
紅生姜が入っていると焼きそばが美味しく食べられない。一緒に食べると不味い。焼きそばを食べる時には不要なわけです。
一方で、沖縄そばの場合、紅生姜は必須。絶対要る。無いと味が寂しくなる。あるとそばの味が一段と良くなる。
私にとって、この話に含まれるメッセージは紅生姜でストーリィは焼きそばなん…例え、分かりにくいですね、すいません。
まあとにかく、メッセージ性とそれの素晴らしさは認めますが、沖縄そばに入っていれば美味しく頂きましたが焼きそばに入っていたので全然美味しくなかったです、と。

「かんじんなことは目に見えないんだよ」
メッセージが書いてあるのも美しくないと思うんですよ。
見えていないメッセージも有るし、もしかしたらそれの隠れ蓑として使われているのかもしれませんが、いくつかの大事なメッセージはそのものずばりを文章化しちゃっている。
お話に含まれるメッセージは、文章化されておらず、そのお話を読んでいく内に読者が気付く、が美しいと思うんですけどー。

そういう意味では「大人の為の」なのかなと思ってしまう。言葉にしないと分からない所が。文字化されているメッセージが多いのが。
子供はねー、そういうメッセージを理解出来ないんでなくて、言語化しないだけだと思うの。メッセージを受け止める力も、心に留める事も、大事にしまっておくことも出来るけど、「それ」に言葉を与えないだけで。だから、言葉でなく何かで子供の心に残して、それが将来、子供が何にでもかんにでも言葉を与えてしまう年になって自分で言語化できる…そういうメッセージが理想だと思います。
メッセージ自体は大人にでなく、子供に今のうちから持っていてもらいたいものだと思いました。
…あ、もしかして「子供の頃は分かっていたのに忘れた事を呼び覚ます為」の言葉、ということなのか?これらの文字化されたメッセージは。

メッセージ部分を削ぐと結構良い感じの童話になる…と思うのは私だけですか?…そうですか。

解説で倉橋さんが王子さまの“死”はパイロットの生還が成るなら必然、みたいなことを書かれていたと思うのですが(うろ覚え)、じゃあ、サン=テグジュペリは、王子さまに会いに行って、生還しなくって、だから王子さまはどこかで生きているのかなーと思ってみたり。
穿ちすぎでしょうが、「別の結末」を描く為に彼は還って来なかったのではないか…とちょっと思った。

…でもちょっとショックだなー。
一般的なベストセラーは相性が悪い事が多いのですが、オタクが認めるベストセラーはそれなりに「読める」し「分かる」と思ったんだけどなー。
本気で分かんねーや…。あ、イラストは味があると思いまする。
読んだ時期の問題もあるのかなー。
そういえば、マイ・フェバリット絵本に「そして、一輪の花のほかは…」があるのですが、当時は友人連中に勧めまくったのですが、そんなに良い感触は返って来なかったです。そして今読んでもそれほど感動するか分からないので、本棚の前面に置いてあるけど決して読まない。


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