| 2002年10月13日(日) |
「銀河帝国興亡史1〜3」 |
「ファウンデーション:銀河帝国興亡史1」 「ファウンデーション対帝国:銀河帝国興亡史2」 「第二ファウンデーション:銀河帝国興亡史3」 (アイザック・アシモフ著;岡部宏之訳,早川書房)
内容:全銀河を支配する銀河帝国は繁栄の絶頂期に有った。だが心理歴史学者であるハリ・セルダンは帝国の崩壊とその後3万年に及ぶ無政府状態を予測し、その混沌期を少しでも短くくるための組織「ファウンデーション」を設立し、超長期的再建計画を発動する。
「銀河帝国興亡史シリーズ」は本当は7巻11冊出ております。完結した続き物は全部読んでから感想書くつもりだったのですが(おかげでラスト1巻読んでない為に感想書けない小説が幾つか…。←読めや!!)3巻までで1段落しているそうなので一回区切ります。3巻出た後4巻出るまでに27年?かかったらしいしね。
最初の話が書かれたのが1942年。…60年前ですよ、オクサマ! SFって未来科学世界じゃん?大概昔のSFって文学的にはともかく、「サイエンス」としては古臭くなっているものじゃないですか。それが全然。全く遜色ございません。悪かった、アシモフ!アンタを見くびっていた! この話は今も名作だと思いますが、50年たっても名作だと思います。…まったく、本当の天才ってヤツは1世紀経とうが2世紀経とうが輝いているんだな、と、まさかSF作家で思うとは思いませんでしたよ。 ハードなSF知識が無くても読める、科学技術に関する知識が無くても読める…そういう構成だから古くならなかったのかもしれません。
これと比べたら「銀河英雄伝説」なんて凄くスケールが小さく思えます。まあ、あれは「銀河」を書いたというより銀河を舞台に「人」を書いた話ですから比べるのは正しくないんでしょうが。あ、別に銀英伝を小馬鹿にしているわけでないです。好きよ。あれも。同人誌も出したこと有るし。 世代が交代して行くので人を追っ掛けるのが好きな人には合わないかも…。あ、セルダン追っかければ良いか。 後、各話のクライマックス近くまで書いて終息は現在進行形的に表現するのではなくて、「結局○○になった」の事後報告的表現手法を多くしてあります。私は好きなので良いんですが、嫌いな人は大嫌いな手法でしょうね。
で、ストーリィ上でちょっと疑問。 何で第一ファウンデーションは第二ファウンデーションを敵視したのでしょう?両方のファウンデーションが有って成り立つセルダン・プランなのでないですか?第二ファウンデーションがミュールの敵だったのは分かる。でも第一ファウンデーションが第二ファウンデーションを敵視する理由は?「第二ファウンデーションは第一ファウンデーションにその存在を知られてはならないのが基本であるから、第二ファウンデーションは滅びなければ(表面上は)ならないと言う第二ファウンデーションの大前提から、第一ファウンデーションに第二ファウンデーションは敵であると意図的に思い込ませた」?でも操作されていない人も第二ファウンデーションを滅ぼそうとしたよね?何で?第二ファウンデーションが有ってこそのセルダン・プランだと第一ファウンデーションの人は思わなかったの?
もっと根本的に、セルダン・プランが正しく発動される必要はどこにあるの?いえ、初期段階では3万年の無政府状態を1千年に縮める意味は有ったでしょうが、どの段階でセルダン・プランが失敗してもこの数字?読んでいて段々、何故そこまでセルダン・プランに拘るのかが分からなくなっちゃいました。3万年の無政府状態のどこがいかんの?広大な大銀河を1つにすることに固執せずに、今の、多政府世界のどこがいかんの?…いや、そういう根本を言ってしまうとどうしようもないとは思っているのですが、セルダン・プランが唯一絶対のものであるという緊迫感があまり感じられなくて…え?読み込み不足?ほっとけ。 まあ、4巻以降で少しは疑問が払拭出来ればなと思ってます。 ↑以上の疑問は「小説(家)に対して」でなく「ファウンデーションの連中に対して」なんですが、そういう所でもこの小説は凄いなと思ってみたり。
「ミュールの正体」と「第二ファウンデーションの位置」は「小説としてこうあるべきなのだろうな」と言う観点から考え、謎として提示された初期に既に分かってしまいました。(後者は一辺「違ったか」と騙されたけどね!)逆なんでしょうね。「小説としてのビックリ手法(お約束)」をこれら偉大な先人達が作り上げ、エセ(もしくは優秀な)後進たちが真似をし、技法が確立した、と。それ考えると「そういうお約束だ」と頭がスレていないうちにこの本を読んだらすっっごく興奮してアシモフ信奉者にもなっていたかもしれないなと思うとちょっと残念です。
私はSF者ではないんですが、「面白かった!」と思う本はSFが多いです。「冷たい方程式」「火星年代記」「人類保管計画シリーズ」「戦闘妖精・雪風」等。これは「面白いと思うこと」の要因となるのは「エンターテイメント性が高い」が大きいからではないかと。で、SFと言うのは性質上舞台設定が派手な事が多く、それだけで1つクリアしているようなものなのに、+αが出来る。SFに恋愛入れたり戦争入れたり人情入れたりミステリ入れたり、さらに派手派手しく出来る、と。そうするとどうしてもエンターテイメント性は上がる。(勿論書き手が上手い事が根底条件ですが。)だから上質のSFは他のジャンルより、より面白いんでないかと。 「他のジャンル要素を加味出来る舞台設定が派手な」と言う意味で、それに近しいジャンルにファンタジーが有ると思うのですが、それとSFと違うのは「現実社会との接点」と言うことではないかと。 ファンタジーも現実社会と接点が有るのが大前提(※7/26の日記参照)ですが、SFとファンタジーの違いはその接点が横に有るか立てに有るかかなと思うわけでして。 ファンタジーと現実は横で繋がっている。所謂、平衡宇宙。パラレルワールド。神話世界なんかだとあれを「世界の実際の過去」と見れないとは言いませんがやっぱりどこか横に軸がずれているんじゃないかなと思うわけで。 一方SFは現実社会と立てで繋がっている。SFは未来の私たちの社会だ、と。だからSFはファンタジーより間口が広いのかなーとちょっと思いました。いえ、ほら、年とるとあまりに非現実的な社会が舞台だと読んでて萎えてくるじゃん。だからさ。
…偉い文が長くなったけど、入るんかい、これ。
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