たそがれまで
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2002年09月29日(日) 母のこと 3



丁度その頃、友人から葉書が届いた。
体調を壊し、強制入院させられたと。

奇しくも母と同じ病院だった。
文末に、サナトリウムであることが小さな文字で書き加えられていた。

その病気に対する偏見を身を持って知っている彼女は
小さく小さく書いていた。
彼女の悔しさと淋しさがその文字から伝わってくるようで、
なんとも表現し難い感情が湧きだした。

なぜ、なぜなんだろう。
なぜそこに彼女が居なければならないのか、
なぜ小さな文字で書かなければならなかったのか、
病気だからと云う断定的な答えが欲しかったんじゃない。
それだけははっきりと理解できる。


病気に対する偏見があることは、私も嫌と云うくらい実感していた。
私の母に対する周知の偏見も相当なものであったから。
正しい知識さえあれば、何も怖がることもないのに
その病名からくるイメージが全てを物語ると云う現実。

だから私自身も母の病名を伏せていた。
お見舞いを申し出てくれる親戚もいたが、近しい身内にしか告げなかった。
健康体の人であれば面会はできるのようになっているのだが、
白衣を着用しなければならないと云う状況から受ける心理的な背景を考えると、
おいそれと誰にでも告げられないと思った。

だから私の職場でも伏せたままだっだ。
本当に理解してくれる友人にしか打ち明けられなかった。
媒介などする筈もないのだが、そう疑われることも嫌だった。

恐らく彼女も同じだったのだろう。
その気持ちが小さな文字として表されていたのだ。

私にはそんな気兼ねなど必要ないのに・・・


次に病院へ訪れた時、彼女の病棟へ先に向かった。
面会できるのであれば、少しでも顔を見たい。
少しでも話し相手になりたい。ほんの少しでも励ましたい。
例えそれが自己満足でしかないとしても・・・


彼女は普通だった。いつも見ていた彼女となんら変わりない。
ただパジャマ姿でいるだけのように見えた。

彼女は6人部屋を一人で占領していた。
病状が悪かったわけではない。ただその病棟に患者さんが少なかっただけのようだ。

たくさん話しをした。
たくさん笑った。
そしてたくさんの本を差し入れしてきた。
私以上に活字中毒の彼女にとって、本は暇つぶしと好奇心を満たす格好の材料だ。
自分が途中で挫けた「ソフィーの世界」を、たった二日で読んでしまったと後から聞いた。


母の病院へ行っているのか、彼女の病院へ行っているのかわからなくなりつつも、
静かにゆっくり季節は流れていった。

でもその間にも白い壁の病室の中で、確かに二人は闘っていたのだ。
病魔と、自分と、その病気に対する偏見と。

だけど彼女達の本当の敵は、なんだったのだろう。
今思えば、もしかしたら「恐怖」ではなかったかと・・・・  そう思う。








友人のことは、また別の機会に書いていこうと思ってます。
本当はこのスペースは、彼女の為に用意したものだったのだから・・




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