台所のすみっちょ...風子

 

 

愛の厳しさ。 - 2003年02月15日(土)

バレンタインである。

結婚記念日を忘れてしまうような女である私なので、当然

のように、このバレンタインも、また、まったく頭に入ってはいなかった。

数週間前から街のあちらこちらで、チョコレートがやたら売られているような

気もしたが、バレンタインの「バ」の字も思い出すことはなく、

私の認識としては「最近チョコレートが駅の構内や街角でバーゲンされている。

菓子業界もきっと大変なんだろう・・」ということであった。

ところが、おととい友人KのHPに遊びに行き、その中に

「最近どこもかしこもカカオだらけ・・」と書いてあるのを見て、

ようやくバレンタインがすぐそこまで来てることにハッとしたのである。


結婚記念日は旦那もたぶん忘れている可能性が高かったので、

その日が過ぎ去ってしまってからも「忘れたことに罪はない。」となるが、

バレンタインはそうはいかない。

その日は必ず旦那が義理チョコを会社の女の子から2〜3個もらって

来るからだ。

例え彼が「今日はバレンタイン」ということを忘れてしまっていても、

そんな女の子達の人間関係を円滑にしようとする有り難い心使いが、

否応がなしに、彼にその日であることを思い出させもし、

「赤の他人でさえこんな感じなのだから、愛する妻はどんなもので俺への愛を表現

してくれるのか!?」と期待も膨らむに違いない。


これは忘れるわけにはいかない。

愛がどうしたこうしたとかいう問題ではなく「彼が覚えている」といった点で

忘れるわけにはいかない。


友人のおかげで運良く思い出すことができたことに安堵しつつ、

昨日の午後、それだけのために電車に乗って隣りの駅の駅ビルへと向かった。

だが、私ははなっからチョコレートを買う気などなかった。

お口の中に入れてひと噛みしただけで、すぅ〜〜っと勝手に溶けていってしまう

はかなげなヤツより、「今、俺は確かに妻の愛を食っている!」

と食べていることをものすごい手応えで、意識できるものが欲しいのである。


夫婦愛とは、甘くとろけるようなものではない。

「愛してるよハニ〜」
「私もよダ〜リン」

などという関係はそう長くは続くものではなく、

「また、飲んできたの〜。まったく何時だと思ってんの!コラ!」

とか

「ちょっと〜そこ散らかさないでよ〜、自分で片付けてよ!コラ!」

とか

「明日の朝はゴミだから!今度は忘れないでよ!コラ!」

てな感じで、もっともっと力強いのだ。


そんな愛を象徴するようなもの。

しかもそれはどこかに「カカオ」の要素が入ってもいなければならないので、

買うのは決まっている。そう、チョコレートケーキまるまるワンホールしかない。

これなら、むしゃむしゃとたくましく食えるし、あまりにも量が多いため、

一度に一人で食う姿は「挑戦者」。

愛の厳しさを体を持って確かめることができる。

しかもその大きさにかこつけて「私の愛はこんなにビッグ!」と

主張もできるという優れもの。


帰り道、ケーキが崩れてしまわないように丁寧にいたわりながら

改めて自分のナイスチョイスに満足し、

「そうは言っても一人じゃ食えなかろう。手伝ってあげることもまた夫婦愛。」

と口元が緩む私であった。

おしまい。


...




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