年頭の決心。 - 2003年01月13日(月) 8日の夜にこの部屋に戻って来るなり、 年末に取り込んで置きっぱなしにしていた 旦那の靴下に気がついてしまった私。 長いこと実家に帰っていて、主婦という自分本来の立場を 忘れかけていたのにも関わらず、生活習慣とは恐ろしいもんで、 体が勝手に反応し、私はその山につい手をつけてしまった。 心では「帰ってきたばかりだし、なんといっても新潟での 冬眠めいた生活が長かったのだから、焦ることはない、 今週は取り敢えずジャブ程度に体を動かし、 本格的な家事は来週にしよう・・」などと思っていたのに。 で、たたみ終わって、よせばいいのに、それをしまい込みたい気持ちにまで なって、旦那のタンスの引き出しを開けてみると、 あ〜〜ら、中がやけにスッカスカ。 そう、旦那のパンツが底をついていたのである。 明日のお風呂上がりに履く清潔なパンツが一枚もない。 「ね〜、パンツもうないじゃん!」と一応旦那に言ってみると、 あっさりと「そうです!」と元気のいい返事。 明日から履くパンツがないというのに、まるで危機感がない。 それどころか、爽やかさまでをも感じさせる声の明るさである。 う〜〜ん、、靴下を2足一組にしてまとめ、しまおうとしただけでも すっごく「働き娘」気分であったのに、この上、洗濯まで早速しなければ ならないとは・・・。しかも、夜までに乾かすには朝早く 起きて。 そのことを考えるとクラクラし、イライラもしたので、 「パンツぐらいちょちょっと自分で洗濯すればいいじゃん」と 旦那に文句をたれると 「え〜、なかったらなかったで同じパンツ履くし・・・・」と彼。 ・・・なんということでしょう。 彼も30才を過ぎ早3年。気をつけていないとオヤジ臭さえ漂う年齢で あるというのに、汚れたパンツを履き続け、臭さを自ら重ね塗りしていく 覚悟とは。 確かに「洗濯係」である私の帰省は長かった。 パンツがなくなったのはそのせいかもしれん。 だが、私に否はない。 何故なら私は「実家にいる」ということで、普段そばにいてあげられない両親 に対して、親孝行をしていたのである。 例え、上げ膳据え膳であっても、例え朝、昼、晩と寝ていても、 娘が「そこにいる」ということが大切だ。 そんな大切な仕事をしていた私に比べ、彼の生活ぶりは如何なものか? 東京に一足先に戻り、しかも仕事始めまで2日もあったのに。 パンツの2〜3枚がどうして洗えないのか!? 自分の身の周りのことが解決できないのは由々しき問題だ。 もし、私が不意に家出してしまったり、入院してしまったりしたらどうする。 妻に甘えっぱなしでは、そのうち自分が困ることになりはしないか。 洗濯のために早起きしなければならないことにゾッとしながら、 取り敢えず、パンツをもっと買おう・・多ければ多いほどいい・・と 新年早々決心する私であった。 おしまい。 ...
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