きじょう・・ - 2002年11月20日(水) 近所で唯一の”おしゃべり知り合い”である洗濯屋のおばちゃんは 本がとても好きなんだそうだ。 昼下がり、これぞ主婦の醍醐味!と言わんばかりに 出来上がった旦那のスーツを脇に抱えての井戸端会議でのこと。 何かの拍子で「私の母親はもと図書館司書」と言うと、 「え〜、そうなの〜!私、本大好きなんだ〜」と、 目をきらんきらん輝かせ、幼い頃に好きだった本の話とかをしてくれた。 話がどんどん進むうち、彼女の義理のお兄さんはもと○○誌の編集長だったという なんかすごい話まで飛びだし、おばちゃんを取り巻く文化的な環境にちょっぴり 驚いたりもしたのであった。 で、本から始まった話はこれだけに留まらない。 保母さんだったおばちゃんは、最近の子供達の本離れ 現象について、非常に憂慮しているのだという。 意外に教育論者。 「も〜さ〜、ダメよね、良くないわよね、最近の子供は本読まなくて。 ゲームばっかりでさ。小さい頃から本読んで想像力つけなきゃダメよ! 今の時代はお勉強よりも情緒教育が大切なのよ〜」 ごもっとも! 想像力という点では「そ〜だそ〜だ、そのと〜り!」と 私も深く相づちを打ってみたものの、幼い頃の自分のことをさかのぼれば、 なんだか今の子供達のことをあ〜だこ〜だとは言えないのであった。 ぜんぜん本を読まない子だったから。 エジソンの伝記とかムー大陸の謎!みたいなものは少し読んだ 記憶もあるが、特に物語り調なヤツはイマイチ読んでいてもつまらなく、 まったくと言っていいほど興味を引かれないのであった。 例えば小学校高学年に読んだオーヘンリーの「賢者の送り物」という話、 クリスマスの日、妻は自分の髪を切り夫に時計の鎖を、 夫は妻が髪を切ったとも知らず自分の時計を売って妻に髪飾りを贈ったという 感動の名作である。 私はまだ11歳ぐらいだったと思うが、「相手が何を買うか探り入れとけ!」 と2人の手落ち加減に呆れたものである。 とにかく、漢字を読むのが面倒臭いのもあって、本はあんまり好きではなかった。 冒頭で書いたように、母親が司書だったのにも関わらず、である。 母は小学校や中学校の図書館で勤務していた。 学校勤務の司書というのは各学校に一人ずついればいいわけで、 その数は案外少ない。”司書の会”なんていうのも定期的にあり、 意外とみんなが顔見知り。 なので、私の読書カードの真っ白さがいつも母にバレバレ。 会合の時、通ってる学校の司書が私のそんな状況を憂いて、 母に告げ口しちゃうのである。 まさに個人情報の漏洩。 その度に「もっと本借りなさい!」などと怒られるのであった。 「本を読みなさい」ではない「借りなさい」である。 私は司書の娘としてパフオーマンスだけでもしとけ!という大人のメンツの 世界を理解したものの、行くだけでも面倒臭い図書館なんて、 読みもしない本の為に休み時間を潰して誰がわざわざ行くものか!と まったく言うことを聞かなかったのであった。 そして、時を経、すっかり大人になった今、その弊害は着実に現れている。 漢字知らずの漢字読めず。 天気予報で耳にする「台風いっか」は「一過」ではなく、 台風のお父さんお母さんそして子供達などの「一家」、 つまりファミリーのことだと思っていたし、 「割烹」を何故か「わりてい」と読んでしまってもいた。 そしてなんと、ごく最近まで「机上の論理」の「机上」を これまた何故か「たくじょう」と読んでいたのである。 いや〜、人生一生勉強だと思いつつ、こんなことは本を通して普通に漢字に 親しんでおけば、もっと早く分かっていたのでは?と自分がとってもマヌケに 思えるのであった。 おしまい。 ...
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