今日もガサゴソ
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私の母は、弟が幼稚園に上がったと同時に 生け花を習い始めました。
近所にとても美しい老夫婦が、 それはまた美しいたたずまいで暮らしていて 旦那様は詩吟をなさり 奥様は華道教授の看板をあげていました。
そのお宅の前の桜の木の小さな黒いサクランボは とても美味しくて お転婆な私は木の大枝に座り込んで 小鳥の上前をはねていたものですが 奥様に見つかると 「木がかわいそうよ」と叱られ 木から滑り降りると 見たこともないようなお茶菓子をいっぱい握らせて下さるのでした。
母が、そのお宅にお花を習いに行くというのです。
近所のもう少し年かさの主婦たちは 「花嫁修業でもあるまいに、主婦がお稽古ごとなどもってのほか!」 などと声高に噂していたのも聞いていました。
でも、玄関の下駄箱の上に お花が活けてあるというのは とても気持ちの良いことでした。
父も満足げで 今回は良いの悪いのとアレコレ文句をいいながらも 母のお稽古を楽しんでいました。
私はあまり植物には関心がありませんでしたが、 母がお花を活けるときに 茎や枝をゆっくり回転させながら かたちを見ているとき なにか不思議な空気を感じて それが何かわからないのだけれど 気になるのでした。
何年かして母が持ち帰る 生け花の本が非常に面白いことに気付いて 時々読んでいました。 例えば「タマゴのかたち」の究極的な美しさを 表現する芸術を紹介していたりするわけです。 子供なので勝手に解釈をしながら読んでいたのですが。 それにしても、当時はそのおもしろさと 母の生け花がどう結びつくのかサッパリわかりませんでした。
今にして思えばそれは 得難い美学の授業であったかもしれません。 母が習っていた龍生派は前衛的な華道であったかも知れないと 大人になってから気付きました。
詳しいことは まったくわかりません。 また、自ら活けてみようと思ったことはないのですけれど。
色々な場所で 生け花を目にすると様々なことを思います。 申し訳ないけれど 母ほど美しい空間を紡ぎ出してくれる作品にあったことはありません。
流派によって素材も思想も違うのかも知れませんが 包み込むと同時に 清冽な何かを放つような そういったものが母の作品には見えるのです。
それが何なのかいつも知りたいと思うのです。
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