今日もガサゴソ
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2003年05月29日(木) 家訓

父方の祖母のありがたいお言葉を
「家訓」と呼び習わして育ちました。

1.寝ながらせんべいを食ってはいけない
      眼にせんべいのかけらが入るからである

2.貸した金と本は戻ってこない
      貸すと思わず、差しあげよ

3.土地を買うときは角地を避けよ
      道路の拡張などでドンドン削られていく

4.新しい商売ははじめ儲かるが、すぐ真似をする者が現れる
  粗雑な真似商売でも、客は意外に流れていくものである
      焦らず腐らず、真心を込めて続けるのが商いである


祖母は羽振りの良い商家の末娘だったと聞いています。
幼い頃から女学校進学を夢見ていたそうです。
できれば師範学校に進み、教師になりたかったとのことです。
しかし、女学校進学が許されなかったそうです。
そこで、小さな頃からこっそり貯めていたお金を持って
北海道の親戚を頼るつもりで家出したそうです。
途中で発見され、所持金の額に皆で呆然としたそうです。
仕送りを貰わなくとも女学校を卒業するほどの額だったそうです。

女学校進学がかなわなかった祖母は、
祖父との結婚が決まったときも抵抗して家出したそうです。
一回目と同じく連絡船に乗り込む前にご用になったそうです。

それからどういう事情だったのか
末っ子だった父の手を引いて家出を試みたことがあるそうです。
その話が出ると父はブルブル震えるほど怒り
「お袋はとんでもない女だったんだ!」とわめくのでした。

祖母は本物を欲しがりました。
お雛様もお公家様の家に伝わるようなものを欲しがりました。
銀ギツネのコートを手に入れて
嬉々としていたそうです。
祖父が旅芸人に無断で売ってしまったことをず〜っと恨んでいました。
祖母は自分の進学の夢を子供に託しました。
経済的な事情が許せば子供を男女に関わらず
進学させました。

しかし、だれも先生と呼ばれる職業には就きませんでした。
大学で数学を修めた伯母が
戦時中女学校で数学の教師をしたそうですが
「数学の喜びをすべての子供に教えるのは困難です。
お茶の葉を担いで行商した方が教師よりも向いている!」と宣言して
3年ほどしか教壇に立ちませんでした。
祖母はかなりがっかりしたらしいです。
父が十代後半の時は経済的に困難な時期だったので
父は旧制中学の後奮闘むなしく学業を続けることができませんでした。
定年後地元に出来た専門学校で若い人たちに
パソコンを教える嘱託教員の仕事を二年ほどしましたが
やはり「女物のサンダルを履いている髪の赤い野郎に
ナニを教えるんだ!算数がわからない奴にどうやってパソコンを
教えるのだ〜」と啖呵を切ってやめてしまいました。
これは血筋なので仕方がないような気がします。
生徒さん、お気の毒です。

(このような事情から、私の進路の選択肢から
教える、というのが排除されました。)

また、祖母は羽振りの良い頃、
ときどき板前を呼んで料理させたそうです。
料理が上手で、囲炉裏端に座っていないときは台所に立っていました。
祖父がしこしこ削った鰹節をわしづかみにして
ばんばん使ったそうです。
自分専用の井戸を欲しがり、
大町のど真ん中の小さな庭の一角に井戸を掘らせました。
囲炉裏端で寝起きし、
好きなときに好きなだけガッチャンポンプで水を汲んで
野菜を洗ったり、洗濯をしていました。

祖母の台所の床に並んでいる瓶や樽の数々。ガスの匂い。水の匂い。
漬け物や煮物。あまりにも当たり前にあったから
教えてもらうことなんて思いつきませんでした。



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