今日もガサゴソ
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| 2003年05月28日(水) |
祖父は津波で孤児になった |
父方の祖父は 明治29年(1896年)、三陸大海嘯(三陸大津波)で 4歳の時に孤児になりました。 網元の子であったそうです。 高さ25メートルの高波が襲ったそうです。 夜間の津波であったために被害が拡大したと言われています。 この津波でおよそ2万2千の人命が失われました。
山の方に逃れ、分かれ道で 親類を訪ねていて難を逃れた祖母(私のヤシャババ様です)と めぐりあい、以後二人で暮らしたそうです。 父の一家の家系図が 江戸時代中期までさかのぼることができるのは その婆様が90過ぎるまで長生きをして 寺や人のつながりをしっかり伝えてくれたからであるといわれています。
祖母と二人になった祖父は 村の人々が言いつける小間物の買い出しをして 働いたそうです。 三陸は入り組んだ小さな浜が多く、漁村は細くくねった峠道で 結ばれていました。 そうしているうちに商いが向いているとみられたのか 呉服屋に奉公するようになりました。
家系図では従姉妹にあたる祖母は 羽振りの良い商家の末娘でした。 布が好きで好きで、 毎日呉服屋に通い、ありったけの反物を広げさせて、 気に入った布を一尺だけ買い求めて タンスにためて喜んでいたそうです。
それがなれそめか知りませんが 二人は後に結婚し、9人の子供に恵まれました。 成人した子供は7人でした。
浮き沈みのある商いの道でしたが いつもアイディアとバイタリティで生き抜いてきました。
祖父が一世一代の大仕事で それまでに貯めてきたお金を持って上京し 反物を仕入れて帰る途中 関東大震災に遭いました。 荷物は途中の橋の下に隠し、命からがら戻ったそうです。 ほとぼりさめてから 荷物を探しに行ったそうですが 影も形もなかったそうです。あたりまえだよね。
運の良い男なのか、そうでないのかちっともわからないあたりが 遺伝的に私に通じるような気がしたりして。
そんな一家は昭和8年3月にまた津波に襲われます。 これは三陸津波と呼ばれ、高さ24メートルの高波が襲ったそうです。 このとき父は祖母のお腹に宿ったばかりでした。 街の通りを漁船が行きつ戻りつして 家屋を破壊して歩いたと聞いています。
こんな天災に襲われ続ける祖父ですが、 ある雪降る夜に 酔いつぶれて道端で眠り込んでいる男を荷車に乗せて 連れ帰り、助けます。 その人が、大きな会社の購買の責任のある立場の人で 感謝して、事務用品の注文をくれるようになったそうです。 その注文の規模の大きさには驚いたそうです。 太平洋戦争の末期に 艦砲射撃にあい、店も家も焼失しましたが 駅に残った貨車の商品が その後の暮らしをしばらく支えてくれたということです。
私が生まれて一年もしないうちに 祖父は亡くなりました。
赤ん坊の私をことのほか可愛がり 「一等だ!」と叫んだそうです。
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