三楽の仕事日記
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2011年01月22日(土) 小学校3年生時の担任の先生と会う!

 「二重掘いきいきサロン」で落語口演を頼まれ、二重掘会館へ。何も考えず無の状態(笑)で高座へ。
 
 「人生目標がいろいろあるのですが、一生に一度でいいので二重掘会館で落語がしたかった」という定番のつかみから、大爆笑。和室でぎっしりお客様がいらっしゃることもあって、笑いのボリュームはいつも以上の感じ。あとは小噺から県教委の話、食道アカラシア入院日記で30分間。落語は久しぶりの「子ほめ」を10分間。仕込みで大きな失敗をしたけれど、そんなことはもろともせず、お客様は大爆笑。ハンカチで涙を拭いておられる方もいて、素人落語家としては大満足。ありがたい、ありがたい。

 高座を下りるときにお客様から声がかかった。その方は、なんと僕が新任から3年お世話になった米野小時代に中部読売新聞に掲載された「古典芸能クラブ」(2面にわたる)の記事をもっておられた。昭和56年3月8日のこの記事だ。息子さんを僕がクラブで教えていたとのこと。僕が会館に来ることを知って、わざわざそのコピーを持参してきていただいたとのこと。感激。

 もっと感激したのは、小学校3年生時の担任の先生、I先生が僕の落語を聞いておられたことだ。高座を下りるときに、声をかけていただいたもう一人の方だ。お顔を拝見したら、すぐに思い出すことができた。I先生だと。考えてみたら40数年ぶりの再会。皆さんにI先生を紹介。

 I先生は僕の小学校3年生の時の担任の先生です。実はこんなことがあったのです。授業の最後で5分ほど時間ができたと思うのです。その時に、I先生はどういうわけか僕に「何かお話しなさい」と言われたのです。とっさに毎日読んで覚えていた「小学3年生」という雑誌に掲載されていた小噺をみんなの前で話したのです。その時に先生はみんなの前で、僕をとても褒めていただけました。今でもあのシーンが浮かんできます。褒められたという記憶の人生最初の出来事なのです。先生は母親にも伝えてくれたのだと思います。「みんなの前で話ができたのですね」と家でも褒められました。先生、このことがきっかけなのですよ。こうして落語を演ずるようになったのは!ありがとうございました。

 「先生には、少しは立派になったところを見ていただけたでしょうか」と皆さんにお聞きしたら大拍手。40数年ぶりに恩師と握手。忘れられることができない貴重な1日になった。出演機会をいただいた世話人さんにも大感謝。


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