三楽の仕事日記
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2010年11月21日(日) 三重大学教育学部附属中学校公開研究会に出掛ける

 三重大学教育学部附属中学校公開研究会へ出掛ける。研究テーマは「ともに学びともに高めあう学校の創造 −つながりあう力が伸びる「学び」の授業−」。

 全体会には間に合わず。2つの公開授業参観、教科別研究協議会参加、佐藤学先生の講演視聴。小牧の先生方数人と出会う。ある学校からは5人も参加。
 
 紀要に書かれた今次研究の方法が参考となる。「つながりあう力が伸びるための『学び』をすべての生徒に」の具現化のための手立てが5つ示されている。
 1 聴くことの重視
 2 「わからない」「できない」を言いあえる関係づくり
 3 ペア・グループでの学習活動
 4 「学び」を促す課題
 5 授業検討会

 なるほどという手立てだ。これには異論はない。ではこの手立ての成果は、授業でどのように表れていたか。これに注目した。

 確かに多くの子どもが仲間とともに一生懸命に学ぼうとしていた。聴き合っている姿もよく目にすることができた。ところが授業では、研究協議会の助言者が「授業者はおそらく酒を飲んで寝てしまいたい心境でしょう」という表現したように、授業者が描いたような学びは生まれなかった。

 それはなぜか。佐藤学先生の言葉を借りれば、教科の本質に基づいた授業でないからだ。学級全体で学びが行き詰まっていることを教師がとらえ、必死に説明を加えるが、それが論理的思考を促す指導言でなかったからだ。協議会で発言したことなので書いておくが、例えば「ちょこちょこと変えて」という指示では、数学的な思考は生まれてこない。子どもたちは一生懸命に無駄な思考をしていたのだと思う。図形の構成要素を意識させたり、その数や位置に目をつけることを促すべきではなかっただろうか。数学においてつながりあうには、数学知識をしっかりと使い、思考の共有化をしていくことなのだ、授業者はこのことを子どもたちに実感させることが大切である、このような発言をさせてもらった。

 しかし言うは易く行うは難しだ。授業者だって、そんなことは百も承知していることだと思う。授業者の気持ちは痛いほど分かる。僕もこれまでどれほど苦しく、悔しい思いをしてきたことか。もちろん、果敢に挑戦された授業者には敬意を表したい。たくさんのことを新たに学ばせていただいたことにも感謝したい。

 佐藤学先生の講演は、ますますシャープに。全国各地の学校で、学びの共同体づくりが始まり、その学校の変化に確かな手応えを感じておられるからだろう。特に「協力的な学びの枠を超えて協同的な学び(真正の学び)を追求すること」という言葉が印象に残った。


2009年11月21日(土) 全日本小学校ホームページ大賞の亀田東小学校システム
2008年11月21日(金) 31回目の学校運営研究会
2007年11月21日(水) 見事な相手の想いを聴く力!
2006年11月21日(火) 松下教育意見球財団が訪問
2005年11月21日(月) 小牧中で授業を見て
2004年11月21日(日) 2004こまきいきいきフェア
2003年11月21日(金) 春日井での3回目の講演