翠の日記

2004年12月09日(木) 育ち方と、少年少女

 今日聞いた、一言がちょっと衝撃でした。
 「育ち」って今も使うのかな? 人格形成に関わる思春期までを全部ひっくるめた言い方だと私は思ってました。環境とか、親のしつけとか、友人関係とか、でも、あまり良い会話の中では使われないような言葉でしょうか?

 今となっては昔話ですが、客観的に視れば自業自得で苛められていたA。どんなに苛められても、いつも笑顔だったのが、えらいなあと思っていたのです。
 ところが、友人Bが「よく怒らないでがまんできるね」と聞いてみたら、
「可哀想だと思ってるから、腹も立たないよ。そういう育ち方したんだなぁって」
と、苛めていた子を哀れんでいたとか……あ〜なるほど〜
 Aの唯一の美点は、その鈍感ともいえるほどの大らかさだと思っていたので、そんな考え方をしてたことを知って、ちょっとショックだったのでした。今更な考え方っていうのは自分でもわかるんですけど、自分が「良い」と思っていたものが、崩れてしまい、まったく知らぬが仏ってこのことです。
 裏があったというのではなくて、Aにとって、それが当然の表の考え方だっていうのがね。唯一の美点の元がソレかい!と思ったら、ははは;
 それにしても、人の本音を聞き出すBの話術の巧みさに脱帽でした!

で、育ち云々に関係あるような、ないような。
 最近読んだ児童書の感想です。
『THE MANZAI』1.2
『NO.6』1.2.3
(ともに、あさのあつこ著)
 バッテリーが面白かったので、『THE MANZAI』も読んだのですが、本気か!?というくらい、男の子が同級生に向かって「好きだ」と言い張ってました。「漫才の相方として」なのか、本人も迷ってますよ。
 でも、好きなのは本当だから、悩んだりはしていない。秋好(だっけ?漫才組もうと言い出す方)がいるだけで、周囲の空気がとても良くなって、本当にいい子で読んでて元気になれます。
 2の中で「学校なんて無理して行く所じゃない」っていうセリフがあって、ちょっとドキっとしました。
 私にとって学校は無理しても行く所でしたから。少なくても義務教育中はそう思ってましたね。今はそうでもないかな? でも、自分の子ども(いないけど)にそんなこと言われたら、やっぱりショック。

『NO.6』は〜…。
 完全統制されたドーム「NO.6」内の生活と、ドーム外の生活のギャップがすごいです。
 近未来の話なんですが、これ、前者より友人関係の微妙さがグレードアップしてますよ。「好き」だと言って怒られたからって「だったら、愛してるって言えばいいのか」って、おかしいって; でも、言ってるほうは好意を伝えようと、大変真面目なので、本当にタチが悪いとしか言い様がありません。誰か紫苑をどうにかして。ネズミはとても可愛いです。老若男女、誰でも言うこと聞かせられそうです(方法が脅迫から誘惑まで幅広ーくっていうのがまたツボ;)。なんて素晴らしい。

 『NO.6』が好きな人なら、京極夏彦の『ルー・ガルー』も好きじゃないかな? 統制された近未来とか、危険に巻き込まれる(&自ら飛びこむ)子どもたちとか。でも、決定的な違いは、『NO.6』は少年もの、『ルーガルー』は少女もの。(あえて【美】とは言わない;)
 ……もしかして、その違いがかなり重要?


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