先日、ボスと面談した。 ちょっと前に小喧嘩した、問題ありのボスだ。
事前に登録した自己評価を元に話し合ったのだけれど、 思った以上に彼の私への評価が高くてビックリ。 有難い話ではある。
私の自己評価は、比較的低めに設定されることが多い。 今までの会社でも、「もっと高い評価つけていいと思うよ」 と言われることがよくあった。
日本人らしい謙遜という要素もないとは言わないけど、 どっちかというと、「理想が高い」のが理由だと思う。
私の思い描く「あるべき姿」は結構”完璧ちゃん”なので、 それと引き比べて評価するとどうしても低い結果が出てしまう。
理想が高いのはいいけどね、 一番の問題は、その理想に近付くべく努力をしていないということ。 だから、どうしても低評価になってしまう。 理想から遠くても、確かな道を頑張って歩いている実感があれば、 自己評価はまた違った内容になってくるのだろう。
理想と引き比べての評価ではなく、 同僚を名指ししての相対評価だったら、 私は自分に結構ハイスコアをつけるかもしれない。 (なんか嫌なヤツだなぁ・・・)
「せっかくいい評価あげようと思ったのに、 自己評価がこれだとやり辛いから、 もう少し自己評価をプラスに書き直してよ」 とボスは言う。
ライバル(同年代の同階級)がやたらと多い会社なので、 ここで自己主張しておかないと賞与の配分も減ってしまう、 という実に即物的な理由にのっとり自己評価改竄。
「私はこれ以上の階級アップも、給与アップもいらないし、 だから責任もこれ以上要らないんでーす!」 とはやはり言えないのがツライところだな。
で、話はちょっと変わるけれども、 「誰もが右肩上がりの昇給・昇進を目指すものではない」 というのが私の気持ちなのだけれど、
その一方で、
「生活レベルは年齢と共にあがるべき、あげたい、あげよう」 と自分が考えていることに気付いてしまった。
大学に入って上京したばかりの子や、 社会人なりたての子と、同じレベルの暮らしじゃ悲しい。 部屋も家具も食器も雑貨も、そして暮らしの質自体も、 徐々にグレードアップしていきたい、と思う。
これはちょっと、矛盾した考えかな。
まぁグレードアップと言ったって、 今の収入の範囲内だけれどね。
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