CYMA’S MURMUR

2006年07月10日(月)   んー?


前々から読ませてもらっているあるブログに、

 サラリーマンになってずーっと会社で働くのは嫌だ

という主旨の記述があった。
(その人は、3社で社会人経験あり、現在海外逃亡中)

それを読んで私は、「なんで??」と自分でも不思議な程、腹が立ったのだ。

理由をぼんやりと考えているのだけれど、うまく言葉にならない。

「そういうアンタは何様なのよ!」という怒りがあるのも事実。

その人は、まぁ素直でアクティブなんだけど、
その分飽きっぽいというか、方向性が定まってないところがあるから。

今、彼のブームとしては、
「青年海外協力隊」とかそっちの方(そのものズバリではない)で、
「人の役にたつ」とかそういうことを盛んに書いている。

「なんだかなぁ」と思いつつも私がその人のブログを読み続けてるのは、
その自由さが私にないもので、羨ましくかつ妬ましいから。

でも「サラリーマン」云々発言への反発は、彼の個性とも関係なくて。

単純に「サラリーマン(&ウーマン&パーソン)も捨てたもんじゃない」
と思ってるからかもしれない。

私の中にも、芸術家や専門職(弁護士とか医者)に対する職業的劣等感があるのだ。

でも多分。職業に貴賎はない、ってのは真実なんだよ。

理想を追い求めるのもいいけれども、
「そこそこ」で「ほどほど」で暮らしていくというチョイスを積極的にしてもいいでしょう?

あぁ。先日の狼と羊の話と流れが似てきた。

「人は何かを為すべきである」と、
若かりしころのナイーブな私は考えていて、
その残滓は今も私の中にあるけれども。

「何も特別に為さないけどそれでも何がしかが残っていく無名の人の生」
みたいなものの尊さってのを、彼の発言が踏みにじっているように感じたのかもしれない。

「若いころは理想が大きいけれども、年を取るにつれてそういう傾向は弱まる。
理想がなくなるわけではないが、他に守るべきものができるからだ」

って言うのは、狼と羊の話に出てきた
「若者は理想主義的であるため狼の傾向が低い」
という説に反対を唱えた私に対する講師の言葉だ。
(子供の方が、問答無用に勝つことに拘ったりしそうだと私は感じたのだけれど)

そう考えると、このブログの彼は、若い、とも言えるんだろう。

年を取ると、妥協を覚えるけど、それって悪くないって、私は思うんだよ。
逆に、どうしても妥協できないポイントが見えてきたら、
それにはトコトン拘ればいい。

そんなようなことが、胸の中にもやもやと漂っているのだけれど、

私はただ逃げをうってるだけなのでしょうか?





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