1941年アメリカ 監督オーソン・ウェルズ キャスト オーソン・ウェールズ ジョゼフ・コットン ドロシー・カミンガー アラン・ラッド
映画史に残る名作。 燦然と輝く金字塔と言われ、名作ランキングでも常に上位に位置する・・、いつか観てみようか・・などと思いつつ〇十年が過ぎましたが、なんと!高校生の息子が借りてきてるじゃないですかっ・・まぁ、まぁ・・相変わらずの渋好みですね。
そういうわけで、やっと私も「薔薇のつぼみ」の謎に向かう時がきたようです。 アメリカの新聞王ケーンが死去、彼が最後に言い残した「薔薇のつぼみ」とは、どんな意味なのか、なんのことなのか。 ケーンの記事を取り上げることになった記者トンプスンは、成功者ケーンの姿を追うため、そして「薔薇のつぼみ」の謎に迫るため、生前の彼を知る人々に取材を申し込む・・
周囲の人々が語っていくケーンの姿。 しかしね・・う〜ん。なんともイヤなやつ・・ですね(ああっ、酷いことを〜汗) いや、だって、ほら〜。強引な方は好きじゃないから・・。たしかに手腕はあったのでしょうね。カリスマ性もあったのかも。でも、ほら魅力があるかと・・言われると・・私にはどうも・・ そんな彼だから、晩年の生活ぶりについては・・自業自得じゃないかなって思いますよね。 まあ、でも彼らが語るケーンの姿は、どこまで彼の内面を知っていたかと言うと・・誰も知らなかったのではないかって気がします。 新聞王としての顔、社会的な表向きの顔。家庭でも本当の内面を見せたことがあるのか・・そう思ってしまいます。 だからこそ、「薔薇のつぼみ」の謎を彼らは最後まで知ることが出来ない。
ラストシーンで、私たち観客のみに・・その意味が知らされる「薔薇のつぼみ」。 でも果たして、それが本当に「薔薇のつぼみ」を意味するものだったのか。 少年時代、彼がまだ無垢で何も手にしていなかった・・あの頃。なくしてしまったものへの思いと母への愛情。 再び手にすることのなかったものへの思いを込めた言葉だったのかもしれません・・ でも、でも、どこか私にはあの言葉がとても印象に残ったのですよね。 記者が最後に言った「薔薇のつぼみには何の意味もないのかもしれない・・人間の一生をひとつの言葉で表すなんて・・・出来ないもの・・」(ちょっとうろ覚え・・違ってるかも)。 この言葉もね、また真実であるように思えるのですよね。
映画の中でははっきりと明かさずに、最後の最後ににちらりと・・私たちの前にあらわしてみせたもの・・ う〜ん、やっぱりニクイですね、これは。 決して明かさない、明かされない。それは人生と同じ。けっして誰も他のひとの人生をすべて知ることは出来ない。 観客ひとり、ひとりにそれぞれの「薔薇のつぼみ」の余韻に浸らせる・・
ケーンの人格に憤慨しながら見ていた私でも(苦笑)これはやはり名作だとしっかりと納得させられる作品でした。
スノーボールが登場する映画としても・・以前本に紹介されていました。 薔薇のつぼみとスノーボール・・どちらも心惹かれるキーワードですよね。
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