| 2006年10月15日(日) |
「ぼくを葬る」(少々ネタバレ・・あり) |
2005年フランス 監督フランソワ・オゾン キャスト メルヴィル・プボー ジャンヌ・モロー ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ ダニエル・デュバル マリー・リヴィエール クリスチャン・センゲワルト
オゾン監督が「まぼろし」に続いておくる死をめぐる3部作の第2作目。 「まぼろし」では愛するものの死、そしてこの作品では、自らの死に向かい合う主人公を描いています。
パリで活躍する写真家ロマンがある日突然告げられた病名は「末期ガン」 化学療法を拒んだ彼に残された時間は、たった3ヶ月。 あまりにも短い、わずかな日々を若く美しい青年が、どのように葬る(おくる)のか・・・ 見終わった今もじわじわ・・と、いや見終わってから、なお、じわじわ・・と感じるものがある作品でした。
メルヴィル・プボー、目元がエリック・バナとオーランドに似てるよ!って聞いていたんですよ。うんうん、確かに似ています。鼻とか口が違うので、横顔とか似ていないんですが・・。黒髪の巻き毛、伏せた目元がとても似ています(画面の鼻から下を隠してみましたから、確かです・・ってプボーさん・・ごめんなさい〜汗)いや、でもとっても素敵な方ですね、見惚れました。
なぜか仲の悪い姉、うまく折り合えない両親には何も告げず(どうしてこんな風になっているのか・・は語られないので想像するしかないのですが)恋人(男性です!)にはわざと冷たくして別れを告げ、ロマンが唯一告白したのは、祖母でした。 この祖母とのシーンが、とても良かった。 ジャンヌ・モロー、なんて粋な!なんてセクシーなんでしょうか。 思うに恋多き女性と想像される祖母(眠る時は裸だから・・と言う彼女の色っぽさ!)とゲイのロマン。似ていないようで、どこか通じるものがあるのでしょう。 自分に正直に貫く強さでしょうか?人を愛しながらも、でもひとりの強さも知っているところでしょうか? 「今夜おまえと死にたい」と言う祖母に思わず泣き出すロマンの姿を見て、こちらもぐぐっときてしまいました。
そんなロマンはある女性から、驚くような提案をされるのです。 う〜ん、死を前にするとやはり何かを残したい、形として、生きた証を・・そう思うのでしょうか。 でもロマンには写真があると思ったのですけど。 今まで撮ってきたファッション誌の写真だけじゃなくって、死を前にした彼が今まで撮ったことがなかった、家族やまわりの人々にカメラを向けるあの表情。 自分が失いつつあるものへの憧れ、命への思い・・そんなものがとても感じられて。彼が撮ったそんな作品は、たとえそれが見れなくても素晴らしいものを残したと思うのですが。 だけど、もしかしたら、そんな命への憧れが・・彼女の提案を呑んだ理由になったのかもしれません。 人妻と夫と3人のラブシーンは、ちょっと複雑な想いがしました。
恋人サシャとのラブシーンも最初にあるのですが、こちらにはドギマギ!しました(娘も見てたし・・でも美しい!)ブロークバックマウンテンとか、他の映画でも男性同士のラブシーンはありましたけど、フランス映画のラブシーンはやっぱり違う。冷たく突き放しておきながら、後に寂しくなって彼を求めちゃう、でも拒否されて、手を握るシーンがとても切なかった。
髪を剃り、遺言を終えて笑顔を浮かべたロマンの表情は、なにかすべてもうやり終えた・・みたいなそんな安堵の表情でしたね。 そして最後に選んだ場所は、「まぼろし」のラストシーンと同じ。 オゾン監督にとって海は、忘れられない場所なんでしょうか。 生命の源、生まれ出るところ、還る場所。 寄せては返す波の音、「まぼろし」同様こちらのラストシーンも忘れられないものでした。
回想シーンで少年時代のロマンがたびたび登場します。 この少年がまた可愛い、くるくる巻き毛で愛らしい。思い出の中の自分をいとおしむように見つめるロマンの表情も印象的でした。彼にとっての少年時代はきっと幸せなものだったに違いないですね。 チョコレートアイスは、少年の頃から好きだったものでしょうか。
それにしても「まぼろし」のあの夫もそうでしたが、何も言ってしまわずに逝ってしまうんですね、オゾン監督の作品では。 私には無理だなあ。 その人を苦しめることになってもやっぱりそばにいて欲しい、何も言わずに逝きたくない。自分が何も言わずに逝かれると悲しいから。 「まぼろし」のあの女性を見たらなおそう思います。 一緒にいるときに悲しみたい。黙っていかれて、一人でその悲しみに耐えるのはあまりにも辛い・と思うのですが。
じわじわ・・そんなことも思いつつ・・まだまだひきずりそうな映画です。 プボーの素敵さもあって、思わずDVDを注文してしまいましたよ。
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