今回は映画ネタ。観てきたのは「TAKESHIS'」 この映画、前評判でやたら難解だった、とか聞いていたんで覚悟をしな がら見に行ったんだけど、そんなことはなく、とても面白かった。 というより今年観た中でも少なくとも3本の中には入ると思う。 (最近、あまりいい映画にめぐり合っていないからかもしれないが)
っていうかさ、この映画について監督の北野武本人に「この映画の 見所は?」とか聞いても意味無いだろう。 だってこの映画、おそらくは「2005年の北野武そのもの」なんだと思う からである。
一応売れない役者でフリーターをしている芸人北野武の物語(を、 白昼夢で見ている北野武本人の物語)という一つのストーリーはある ものの、この映画が見せたいものはそういうあらすじというか、 話の展開ではないような気がする。
むしろ、そういう話の展開というものを壊してしまったからこそ、 この作品のクリエイターである北野武の伝えたかったもの、物語が 立ち上がって来るような気がするし。
そしてそれは、最近の宮崎駿にも通じるものであり。 つまりは、一つ一つのシーン、エピソードはまるでジグソーパズルの ピースのようなものであり、その一つ一つのつながりやデティール ばかりに注目していたら、全体は見えてはこない。
むしろそれらが全部納まった全体の絵を見た時(つまり映画の全編を 観終わったときに)忽然と姿を現われてくるのが、北野武が伝えたい メッセージのような気がする。
大体、人が伝えたいと思うことが、整然とした物語の形にはなかなか ならなかったりするもので。 むしろそれがきちんとした物語の形になっている場合っていうのは、 無意識と意識の間にあるフィルターによって、編集されたものなのかも しれない。 そしてこの映画では、北野武が自分の無意識の世界まで、降りていった 映画のような気がするのだ。
だからかもしれないけれど、この映画を刻んでいるリズムは、北野武の 生理的なリズムになっているような気がする。 例えば、映像の途中にいきなり差し込まれるインサート映像は、彼独特 の肩をゆすったり、目のまばたきのリズムに近いような気がするのだ。 そしてもしかすると彼は実際に、まばたきをしている一瞬に、あんな 映像を見ているのかも。
また岸本加世子のいきなり叱り飛ばす役は、実際に彼の心の中にいて、 何をしていても、お見通しなんだよ、なんて言っているのかもしれない。 なんてことを想像しながらこの映画を見ていたら面白かったのである。
それにね、多分同様のモチーフで撮られた映画って、沢山あると思うん だけど、この作品についてすごいな、と思うのはその編集だろう。 だって、いかに編集でつなげようたって、肝心の素材がなければ駄目な わけで。 台本もなく、その場で撮っていくという彼のスタンスにも関わらず、 セリフとか、共通する場所が沢山あるのはちゃんと完成される作品を 予想しながら撮っていったって事なわけだし。
映画の最後、なかなか終わらないあたりとかは、多分どこで終わりに してもよかったんだろうけど、なんというか残尿感みたいな感じで、 すっきりと終われなかったのかもしれないし。その辺にも北野武の 生理的なリズムが色濃く残っているような気がするのだ。
なんてもし仮に本人が読んだら、「そんなんじゃねえよ、馬鹿野郎」と 言われてしまうのかもしれないが。
でも、この映画の中で、例えば主役のビートたけしをはじめとして、 一度撃たれた人間がまだ生きているのは、映画なんてお約束じゃねえか という気持ちもあるのかもしれないけれど、もう一方ではこんなんじゃ 死ねねえよ、と北野武本人が言っているようでもあり。
北野武本人は、この映画で一区切りを置くつもりである、なんて話も 事前のプロモーションで聞いていたんだけど、たとえこれで映画が 撮れなくなったって、生身の北野武本人は死なないよ、と言っている ような気がして。
次回、彼が再びメガホンを持ったときには、果たして本当に作風が 変わってしまうのか、それとも今までの延長で行くのか、それも含めて 次回作がちょっと楽しみになったのである。 多分、また観ると思います。
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