パラダイムチェンジ

2003年06月11日(水) 「バカの壁」(1)日記を書く理由

さて、たまにはこの日記の置いてあるジャンル「読書日記」らしく、
読書感想文なんてものを書いてみたい。

今回取り上げる本は「バカの壁」

さて、このバカの壁、実はちょっと前の狂気的な?長期連載?「ナイー
ブな人」を書こうと思った理由の一つは、この本を読んだことである。

なので、この本の中のどこにひかれたのかを書こうと思うんだけど、
実は?子供の頃からいわゆる読書感想文って苦手なんだよね。

なので、まずは著作者自身に語ってもらおう。
これは5月25日の毎日新聞の文化欄「21世紀を読む」からの
引用。


21世紀を読む
「イラク戦転じて新型肺炎」
養老孟司 

世に話題は尽きないもので、イラク戦争が終わったら白装束だ新型肺炎
「重症急性呼吸器症候群」(SARS)だと、もう別な騒ぎである。
どれも私に直接の関係はない。そんなこと知ったことか。
それが私の本音である。(略)

それにしてもなぜこうつぎつぎに世間の話題が移るのか。あまりのこと
に、情報過多という表現ができた。じつは情報過多というものはない。
過多になるのは情報の本質である。情報はひとりでに消えはしないから
である。人間はかならず「ひとりでに消える」、つまり死ぬ。
情報は動かない。創刊以来の毎日新聞の記事はいまでも読めるであろう。
それを「動いている」と思うのが現代人である。それならいかにも
「動いているように」見せなければならない。だから毎日「新しい
ニュース」を追いかける。だからといって、昨日のニュースが消えた
わけではない。調べたらちゃんと残っている。その上に今日のニュース
を重ねるから昨日のが見えなくなるだけである。

その裏にあるのは、逆に人間は変わらないという思い込みである。
ひたすら変わりつづける人間を、「変わらない私」「個性を持つ私」と
思いこむ。それなら「変わらない」ものである情報を、変わると強弁
しなければならない。だから毎日、大急ぎで情報を取り替えるという
騒ぎになる。

ニュースをとりかえる作業がどんどん早くなる。だからいまではビン・
ラディンがどうなったか、フセインがどうなったか、一言もいわない。
白装束やら肺炎やらで覆い隠してしまっただけ。それなら始めからいわ
なきゃいいだろうが。そもそも私にゃ関係ないんだから。とまあ、
この私はそう思っている。

人間は変わらない。情報が毎日変わっていく。それが現代人の巨大な
錯覚である。だから人が「死ななくなった」。メディアとは、その
錯覚を維持する装置である。

なぜかって、「変わらないもの」がなぜ「亡くなる」んですか。
理解できないじゃないですか。死ぬのはいまの元気なあなたじゃあり
ません。よれよれになって、まさに死にそうなあなたが死ぬんですよ。
そのあなたはいまのあなたではない。いってみれば、違う人なんです。

いくらそう説明しても、わからない人にはわからない。それを私は
「バカの壁」といったのである。



で、この引用文の中に、実は「ナイーブな人」連載中に思った、「何故
マスコミは執拗に白装束集団を追っかけたのか」に対する一つの答えが
あると思う。

すなわち、今ある情報を追っかけ続けないと「『変わらない』もので
ある情報を、変わると強弁」できなくなるから。

これを個人的に、別の言い方をすれば、「一つの問題を深く掘り下げる
よりは、新しい情報を次々にお茶の間に提供しなければ、飽きられて
しまう」とマスメディアと、私たち視聴者は、思い込んでいる、といえ
るのかもしれない。

それは別の例え方をすれば、「絶えず発表される新製品を買い続けなけ
れば、乗り遅れてしまう、という恐怖感に煽られている」事と根は同根、
といえるのかも。

でも、例えばちょっと前までの新製品だって、今度発売された新製品と
革命的に何かが劣っているわけではない、という事に最近の私たちは
気づいているような気がするのだ。

そして何も新しい情報だけを追いかけるよりは、今までにもあった情報
の中には、実はこんな見方もあったんだ、なんて見直して再評価してい
くことも大切なんじゃないのかな、とも思うのである。

少なくとも、そういう流れが今後もっと出てきても、いいんじゃないだ
ろうか。


そしてもう一つ、この引用文から引くと、大切なのは
「情報は変わらないが、人間は変わる」という事なんじゃないだろうか。

私たちはつい自分や周囲の人たちが、ずっと変わらないでいる、と思い
がちかもしれない。
でも、私たちの体内の中の細胞が、毎日少しずつ再生されているように、
私たちは日々、様々な刺激を受けながら生きている、と思うのだ。

そしてそういう風に刺激を受けている限り、人間はいい方にも悪い方にも
少しずつ変わっていく。

逆に言えば、そうでなければ、こういう日記を書いている意味はないと
思うのだ。
人間は日々、少しづつ変わっていくから、久しぶりに読み返してみると
その変化に気づき、ビックリしたりするのかもしれない。

そして、だからこそ、今、こうして書いている日記を、将来の自分が
見たとき、なんて思うのかが、ちょっと楽しみだったりするのだ。

「あの時は青かったなあ」と思うのか「お、意外といいこと書いている
じゃん」と思うのか、それとも「あの頃の方がよかったかもなあ」と
思うのか。

出来れば最後のようには思わない人生を歩んで生きたいものだ。

という事で、続く?


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