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| 2004年06月25日(金) |
1歳6ヶ月20日目:昨日の日記+歩く。(入院2日目) |
昨日の日記のつづき −−−−−−−−−−− ストレッチャーに乗る前に名前をフルネームで自己申告させられ、手首に名札を付けます。 これは患者取り違えの医療過誤を防ぐためで、そういったマニュアルを読んだことはありましたが、ちゃんとやってるんだなぁ…と、職員の目で色々と観察してしまいました。 点滴と共に運ばれながら足下へ流れていく天井を見ていると、(あぁ、何だかドラマを見ているみたいだ…。)と妙に現実感が無くて、自分のことなのに不思議な感じがしました。 手術室へ着くと、病棟看護師と手術室の看護師で引き継ぎをします。 ここでも手首に巻かれた氏名札を見せながら、わたしも自分の名前を告げます。 そして、前室で浴衣から手術着へ着替え、手術室へ。 ストレッチャーから手術台へ移った後、先生にも再度名前をフルネームで告げました。 すると看護師さんや先生たちが次々に自己紹介をしてくださり、こちらも「よろしくお願いします。」と答えながら(よく言う言葉だけど、こんなに心を込めて言ったのは初めてかも?命預けてるしなぁ。)なんて思いました。
と、ここで思いも寄らない事態が発生しました。 当然、全身麻酔の処置を始めると思ったのに、麻酔医が「横を向いて、体を丸めてください。」と言うのです…! この体勢、脊椎麻酔を受ける体勢です。 有無を言わさず横を向かされ、予備麻酔(脊椎に針を刺すための、皮膚の麻酔)をされました。 心の中で(…だまされた!!!)と思っても、後の祭りです。 そう。 わたしが職員だから、有無を言わさず専修医の練習台にされているのです。 将来有望な医師を育てるためには必要なことと分かってはいますが、それがわたしじゃなくても…と思うのは仕方のないことだと思います。 何故なら、その専修医が指導医に背骨の位置を「ここは何番?」と聞かれて、間違えて答えているんです…。 更に、予備麻酔が効いてきた頃に脊椎麻酔が始まりましたが、角度が悪かったらしく会陰と指先に「ビリビリッ!」と衝撃が走りました。 「痛いっ!」とわたしが思わず口走ると、専修医は針を抜いてしまい、心の中で(…抜くなよ!)とつっこみを入れてしまいました。 抜かれたら、また刺されなければいけません。 またなの〜?と泣きそうな気持ちでいると、案の定「もう一度刺しますね〜。」などと言っています…。 針を刺している時に指導医が「もう少しこういう角度で…。」と指導していて、本気で神様にお祈りをしました。
脊椎麻酔が終わると仰向けになり、首元に金属製の細い棒で出来た輪のようなものが乗せられ、そこに着ていた浴衣が掛けられました。 両手は台にくくられてしまったので、怖さ倍増です。 段々と指先の方から麻酔が効き始め、時間を計っていた麻酔医が胸元まで効いているか確認するため「冷たいかどうか教えてください。」と濡らした脱脂綿でわたしの体を拭き始めました。 「ここは?」「…冷たいです。」 「ここは?」「冷たくないです。」 「ではここは?」「そんなに冷たくないです。」 というやり取りをし、大分時間がかかりましたが、やっと手術が出来る状態になりました。 お酒はまったく飲まないのに、わたしって麻酔が効きにくい体質なんでしょうか? なかなか麻酔が効いてこなくて麻酔医が焦っているのを感じましたが、ここで「大丈夫です。」と答えて手術を始められでもしたら、痛くて気絶するかも?と思い、本当に効くまでしつこく「冷たいです。」を繰り返しました。
そして「わたしは騙された。パート2」です。 脊椎麻酔でも眠らせてくれると言っていたのに、眠らせてくれなかったのです。 麻酔のせいで体温調整がうまくいかないのか(副作用で血圧が低下していたため?)、寒いという感覚がないのに歯の根が合わないくらい震え、布団乾燥機の小さい版のようなものを肩に入れてもらいながら、眠らせてもらえないわたしの意識はばっちりあって、導尿しているところとか先生の会話とか、全部分かるので怖くてたまりません。 痛くはないのですが、お腹を切られたり、それを鉤で引かれたりする感覚は分かりましたし、焦げた臭いがした時は「嚢腫を切除しているんだ…。」というのも分かりました。 しかもS先生と一緒に執刀している専修医が「あっ!」と言うので、S先生に「どうしたんですか?」と聞くと「取り出す時に嚢腫が破れちゃった。」と言うではありませんか!(後で分かったことですが、これが悪性だったら笑い事では済みません。) S先生が「いま嚢腫を切除しました。」と言うので「卵巣は大丈夫でしたか?」と聞くと「思ったよりも捻れてなかったから大丈夫でしたよ。」と答えてくれて、これには一安心することが出来ましたが…。 その後も腹腔内洗浄をしているところとか、それを吸引しているところなどを浴衣のこちら側で感じていると、何だかみぞおちが痛くなってきました。 (もしや…麻酔が切れてきたのかしら?) と怖い考えが脳裏をよぎり、(いや、そんなことないって。大丈夫。もう少し様子を見て、痛みが酷くなれば申告しよう…。)と我慢をしていると、やはり痛みが強くなってきます。 頭上に待機していた麻酔医の姿が見えず不安な気持ちで一杯でしたが、頭上に戻ってきたところを捕まえて「すみません、麻酔が切れてきたみたいで胃の辺りから痛くなってきたんですけど…。」と訴えると「それじゃ、点滴に麻酔を追加しますね。」と言って側注してくれました。 「この麻酔を入れると、少し眠くなるかもしれません。」と言うので(わたしが希望していたとおりの状態じゃないの!)と喜んでいると、麻酔医の言うとおり眠くなってきて、気持ちよく眠ろうと思っていると「起きててください。」と起こされてしまい、がっかりです。
眠気を誤魔化すために「手術、まだかかりそうですか?」と聞くと「もうすぐ終わりますよ。」とS先生が言い、それから20分ほどして「今から縫いますね。」と言ってお腹を閉じてくれました。 簡単な手術なので大げさだと笑われるかもしれませんが、わたしとしては「生きてた…!」という感じです。 切り取られた嚢腫を見ていないことを思い出し、近くにいた看護師さんに「切ったもの、見せてもらえないんですか?」と言うと、横で聞いていたS先生が「見たいの?」と笑いながら嚢腫を持ってきてくれました。 それは円柱形の透明な容器に移されていましたが、とても大きくて「こんなのが、わたしのお腹の中にあったんですね。」と言うと先生は笑っていました。 ところで手術後、再び病棟へ戻るためのストレッチャーに移らなければならないのですが、(下半身に麻酔が効いているのにどうするんだろう?そもそもお腹を切った後なのに動いて平気なの?)と大ぼけなことを考えていると、先生と看護師さん達が力を合わせてストレッチャーへ移してくださいました。 「1・2の3!」と呼吸を合わせて移し終えたあと、麻酔医が「○○さん(わたしのこと)、軽いから3人でも余裕だったね。」と笑っていました。
手術室から出てすぐに病棟へ戻るのかと思いきや、別室でしばらく容態に変化が見られないか経過観察され、それからやっと病棟へ戻りました。 病棟のエレベーターを出たところで、パパがなっちゅんを抱えて待っていてくれ、「ママだ!」と喜ぶなっちゅんを見て、心がとっても解れました。 手術中も、頑張らないとなっちゅんに笑われる、なっちゅんのために頑張る…と、そればかりを考えていたので、なっちゅんに会えて本当に嬉しかったです。 病室へ戻ると家族は一旦外へ出され、今度は看護師さん達だけでストレッチャーからベッドへわたしを移してくれたのですが、病棟の看護師さんも「軽いから、楽ね〜!」と喜んでいて、看護師は重労働で大変な仕事なんだな…と思いました。
おじじ、おばば、なっちゅんの他に、弟夫婦と甥っ子のかーくんも面会に来てくれていましたが、麻酔が切れ始めて具合の悪かったわたしには精神的な余裕が無く、なっちゅんもおっぱいが欲しいと騒いで大変だったため帰ってもらいました。 普段授乳している時間にさしかかろうとしていたため、わたしのおっぱいもカチカチに張って大変でしたが、今日の授乳は先生に禁止されてしまったので諦めざるを得ません。 なっちゅん達が帰った後、様子を見に来たS先生に「まだ授乳しているの?もう止めたら?」と言われてしまいましたが「息子が嫌と言うまで、5才とかになっても吸わせるつもりなんで!」と主張して苦笑されてしまいました。 手術後で起きあがることも出来ないため、搾乳も出来ません。 断乳の危機を感じましたが、看護師さんにおっぱい用のアイスノンをもらって乗り切ることにしました。 熱が38度を超していたため氷枕を入れてもらい眠ろうとしたのですが、痛くてそれどころではありません。 様子を見に来た看護師さんに「痛み止めを…。」とお願いしたら、脊椎麻酔が完全に切れるまで、せめて足が上げられるようになるまでは駄目ですと言われてしまい、それは何時頃かと聞くと「22時」と言うので気絶しそうになってしまいました。 時計を見ると19時で、あと3時間もこの状態で我慢しなければならないのかと思うと、本当に泣きそうです。
ところが、21時頃になって足がわずかながら動かせるようになると「痛み止め、入れましょうか?筋肉注射か座薬なんですけど…。」と言われて、即座に「座薬でお願いします。」と言って笑われてしまいました。 筋肉注射って凄く痛いんです。 痛みを止めるのに痛い思いをするなら、恥ずかしくても痛く無い方を選びます。 座薬、何を使ってるんだろう?と思って聞いてみると、熱冷ましでわたしが良くお世話になっている「ボルタレン」でした。 こんなのでこの痛みが和らぐの?と訝しんでいましたが、30分ほどすると楽になり「意外と凄いのね?」と思いました。 完全に痛みがなくならないまでも、痛みが和らいだのでウトウトしながら「なっちゅん、大丈夫かなぁ。ママがいないって泣いてないかなぁ。」と心配になりました。 なっちゅんと離れて寝るのは、これが初めてです。 母親は元気でないといけないなぁ…と、心から思いました。
こうして、わたしの長い1日は終わりました。 −−−−−−−− ↓25日の日記 −−−−−−−− 昨夜は結局眠ることが出来ず、24時と3時に座薬を入れてもらいました。 夜中には完全に手術時の麻酔が切れ、看護師さんに「出来るだけ寝返りをうった方が回復が早いですから。足も動かしてくださいね。」と言われて、夜の間、痛みと闘いながらもぞもぞしていたので怪しかったかもしれません。 また、麻酔の副作用か頭痛も酷く、それもあって眠れなかったのでしょう。 咳をすると、腹圧がかかって傷口にひびくということは分かっていましたが、喉がイガイガして我慢できず、夜中に咳き込んでお腹を押さえる…ということも、何度か繰り返しました。 わたしが入院していたのは4人部屋でしたが、部屋にはわたしを含めて2人しかおらず、その方もわたしが手術を受ける直前に帝王切開をされていましたが、わたしに比べて痛みが少ないようで、それが不思議でたまりませんでした。 わたしが痛み止めを3回もらっている間、彼女は一度もナースコールをしなかったのです。 凄く我慢強い方なのか、わたしが痛みに弱すぎるのか…。 もっと、痛みを我慢しなければいけないのかしら?と病室の天井を見ながら悩みました。
朝になってガスが出たのと、60度くらいは起きあがれるようになったため、水を飲む許可が出ました。 喉がイガイガして辛くてたまらなかったので、早速コップにお茶を入れてもらい、看護婦さんの指示通り「ゆっくり、噛むように」お茶を飲むと、少し喉が楽になりました。 調子に乗って「喉が痛くて咳が出て、それが傷口にひびいて痛いので、飴をなめてもいいですか?」と聞くと、それは却下されてしまい、がっかりです。 看護師さんによると、昼から10倍粥を食べられるそうで、お昼が待ち遠しくて仕方がありません。 それにしても、昨日の朝食から何も食べていないのに、お腹が空かないのは不思議だと思います。 点滴の威力は凄いなぁ…と感心しました。
その後、採血を受け、S先生が様子を見にベッドへ来てくれました。 カルテに添付するために撮影した嚢腫の写真を見せてくださり、改めて「大きい!」と驚きました。 向かいのベッドに入院している方のところにも看護師さんが来ていて、その時の会話で「わたしに比べて痛みが少ないのはどうして?」という謎が解けました。 麻酔の方法がわたしとは違い、持続硬膜外麻酔だったのです。 持続硬膜外麻酔とは、脊椎麻酔をした後にカテーテルを留置して術後も麻酔を追加できるようにしてある方法です。 術後の疼痛を管理することが出来るので、帝王切開をする方全てに行われているのかどうかは分かりませんが、痛みに苦しめられていたわたしは羨ましくて仕方がありませんでした。 でも、考えてみれば子宮も切開を受けているのですから、そういった方法でないと痛みが強くて大変なのかもしれません。
待ちに待ったお昼は、看護師さん曰く「米のとぎ汁のような」10倍粥でしたが、わたしには美味しく感じられました。 お腹に食べ物を入れたせいか胃腸が刺激され、便意をもよおしてしまい、(もしかして、横になったまましないといけないの…?)と不安に思ったのですが、ここで便意を我慢して便秘にでもなったら、手術のせいで便を出すだけの腹圧をかけることができないから、後々大変なことになる!と判断して、散々考えたあげく、しぶしぶナースコールをしました。 すぐにやってきた看護師さんにトイレに行きたい旨を告げると、あんなに悩んでいたのに「じゃ、車いすでトイレまで行きましょうか。」と言われて拍子抜けです。 手術前から「手術の翌日から歩いてもらいます。その方が回復が早いですから。」と聞いていたのですが、トイレに行く時に「もう少ししたら導尿カテーテルも抜いて、歩く練習をしましょう。そうしたら、トイレも一人で行けるようになりますよ。」と言われ、こんなに痛くて辛いのに、それでもあるかなければならないの?!と不安になりました。
やっとの思いでトイレを済ませ、夕食の7倍粥を夢見ていると職場の後輩が仕事を抜けて面会に来てくれました。 その後、清拭も背中以外は自分で行い、ついに歩く練習です! 看護師さんに付き添われながら剃毛を行った処置室へ行き、カテーテルを抜いてもらいました。 カテが無いのがこんなに楽だとは!と思うほど、すっきりです。 それから、しばらく畜尿しなければならないので、機械の使い方の説明を受けてから部屋に戻りました。 こんなに短い距離なのに、こんなに疲れるとは…。 歩く時も、前屈みで点滴台に縋り付きながらやっとのことで足を運ぶ…という感じで、しかも何故か歩くと鎖骨の辺りが痛くなってしまい、しばらくモニターを付けることになってしまいました。 それでも、カテを取ってしまったので尿意をもよおすとトイレに出向かざるを得ません。 点滴をしているせいで妙に感覚が短くて困ります。
それから、やっと搾乳器を借りることができたので絞りました。 午前中も手絞りを試みたのですが、お腹が痛くて座った体勢を長時間維持するのが難しいのです。 手動の搾乳器でしたが、乳腺炎になってしまう!と恐怖するほどカチカチだったおっぱいがあっという間に柔らかくなり、搾乳器を考えた人は偉大だ…!と思いました。 手動の搾乳器で絞れる限界が90ccで、母乳パックが手元になかったため90ccで絞るのを止めましたが、もっと搾乳できたかもしれません。 夕方、外来が終わった後に様子を見に来たS先生が搾乳器を見て「凄いですね!まだこんなに出るんですか!!」と驚いていました。 また、「もう2歳になるんでしょう?もう止めたらどうですか?」とも言われたので「息子が『もう要らない』って言うまで、5歳でも6歳でもあげ続けるつもりですから!」と言って苦笑されてしまいました。
夕方になり、おじじとおばばがなっちゅんを連れて面会に来てくれました。 パパはお義父さんの容態が良くないため、今日長野へ帰省していったそうです。 仕事帰りに面会に来る…と聞いていて楽しみにしていたのですが、事情が事情なので仕方ありません。 お義父さんは生死にかかわる状態ということですから、本当に心配です。 何かあれば、職場経由で連絡をして欲しい、とおばばに伝言を頼みました。(うちの医大は電話の取り次ぎをしていませんが、職場だったら内線で連絡が取れるのです。)
今日は授乳許可が出ていたので、ディルームで授乳です。(入院しているのが産科病棟のため、4歳以下の子どもは入室禁止なのです。) おじじもおばばも「昨日手術したばかりなのに、もう歩いてるの?」と驚いていました。 なっちゅん、昨日は病院から帰宅したあと案の定大泣きだったそうです。 普段の寝かしつけにおっぱいを使っているので、眠ることが出来ずに泣き叫び、それは朝まで続いたそう。 パパもおじじ・おばばも、「良く泣き続けるだけの体力があるな」と驚いたと聞きました(そして全員不眠。ごめんなさい)。
なっちゅんは1日ぶりにお待ちかね!のおっぱいを飲むことが出来て、幸せそうな顔をしています。 そんななっちゅんの姿を見ると心が痛み、涙が出ました。 「ママ、病気になってなっちゅんに辛い思いをさせちゃったね。ごめんね。ごめんね…。」と謝るわたしの姿を見て、おじじも目を潤ませていました。 なっちゅんはもっとおっぱいを吸っていたいようでしたが、夕食の時間になってしまったので帰ることに。 昨晩の大泣きは嘘だったの?というくらいの笑顔でバイバイをしてくれたので安心していたら、エレベーターホールの方からなっちゅんの泣き声が聞こえてきました。 あれは、ママに心配かけまいと必死で見せてくれた笑顔なんだ…ということが分かり、なっちゅんの健気さに胸を打たれ、また泣いてしまいました。 なっちゅんのためにも早く退院しなくてはなりません。 夕食後、一生懸命歩きました。
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