日記もくじまえの日記つぎの日記
2004年06月24日(木) 1歳6ヶ月19日目:緊急手術+入院(入院1日目)

いちいち全部書いてあるので長文注意です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
最近パンツのボタンを留めるのに苦労するようになり、(やだな、太ったのかな〜?便秘なのかな?)と思っていました。
何故「便秘」なのかというと、下腹部がぽっこりと飛び出し、お腹が張っていたからです。
また、初期の胎動のような「ぴょろるん」とした感じもあり、(妊娠?まさかなぁ…。うんち、毎日出てはいるけど少しだけだし硬いから、残りが貯まって宿便みたいになってるのかも?そのせい?)とも考えていました。
いずれにしても、全然深刻に考えていませんでした。

…そして今日。
いつも通り、今朝もパパに駅へ送ってもらったのですが、お腹の張りがこれまでよりも強くなり、腰が痛くて左足が痺れていました。
さすがのわたしも足のしびれが少し気になったので、車の中でこんな会話をしました。
「子宮とか卵巣が腫れていたりして!放っておくと『大変なことになりますよ』だったりして!!」
「もう、そんな怖いこと言うの止めてよ〜!心配だなぁ。早く病院に行った方がいいんじゃない?」
「大丈夫だよ〜!心配性だなぁ。ま、ただの便秘だと思うよ。」

症状は少しずつ悪化し、職場に着く頃には左臀部も痺れ、足の痺れが麻痺に変わり、歩行が困難になっていました。
妙に排尿間隔が短くなった割に、トイレに行くと出ない…という排尿障害も出始めています。
それでもわたしは(便が貯まりすぎて膀胱を圧迫しているのかも?早く排便しなくちゃ!)と思っていました。…呑気すぎます。
とにかく、あまりの腹痛にしゃがみ込むと、その体勢は腹圧がかかるらしくて痛みが増し、それじゃ…と立つと、それも辛く、椅子に座ると臀部の方から押し上げられる感覚で痛いし…と、どうにもこうにもいられなくなっていて、朝のお茶の用意もままならない状態になってしまいました。
わたしの顔色の悪さを見て心配してくれる職場の人たちに「便秘だと思いますから、大丈夫です。」と言うと、「受診に行ってきたら?何にもなければそれでいいんだからさ!」と背中を押され、職場の常備薬にも便秘薬が無かったため、便秘薬をもらうつもりで受診に行くことにしました。
(注:わたしは医大で学校事務をしていますが、医大付属病院が同じ敷地内にあり、勤務中でも気軽に受診できる体制にあります。有り難いことです。)

元々、わたしが就職した時に配属されたのが病院の受付・会計を行っている医事課で、今でも知っている人が何人かいます。
「少し辛いんで、早めに受診できるようにしたいんですけど…。」と言うと、わざわざカルテを取りに行ってきてくれました。(普通はコンピュータで診察を受け付けると、その情報が電動のカルテ室へ行き、自動的に受付された順でカルテが出てきます。それが診療科へ渡らないと受診が始まらないのですが、この場合はそれを手動で割り込んでくれたのです。)
わたしは便秘だと信じ込んでいたので内科へ行ったのですが、そこで「便秘で排尿障害は出ない。排尿障害があって下腹部痛があるとすれば、泌尿器科(腎臓)か産科婦人科(子宮・卵巣)だね。」と言われてしまいました。
が、泌尿器科や産科婦人科は受診したくなかったため、どうしても内科で!とごり押しして診てもらうことにしました。(医大という特性上、付属病院は学生の教育の場でもあり、職員は気を遣わなくて済むので格好の餌食になるのです。だからほとんどの職員は泌尿器科や産科婦人科といったプライバシー性の高い診療科は別の病院で受診しています。…協力しろよ!って感じですか?)
待合室のソファに斜めの体制で座りながら待っていたのですが、痛みのせいか、いつもよりも時間が長く感じられます。
やっと名前が呼ばれると、職員だから…と専修医をあてがわれ、問診票に書かれたことをいちいち聞かれて(丁寧なのは良いけど、要領悪すぎ!患者の容態を診て臨機応変に対応できないのかしら?この場合、すぐに超音波でしょ!)とイライラしていると、診察らしくなってきて体温計を渡されました。
36.8度。微熱です。
いつもは微熱が出てくるとダルくてしかたなくなるのに、お腹の痛みに感覚が集中しているせいか、全然そんな感じがなかったので不思議でした。
そして待望の超音波。
ベッドに横になって下腹部を出すと…あれれ?今まで気付かなかったけど、何かがぽっこりと飛び出てる???
こんなに便が貯まってるんだ…と思いながら超音波をあててもらうと、そこに映されたのは…何?
専修医、何が映っているのか診断に困り、あちこちグリグリやっています。
(…だから、痛いんだってば!)と思いながら我慢していると、指導医が見かねてやって来て「そこ、もう少し右の方。今度は下。ここが膀胱でしょう。」と声をかけてくれました。
そして「うーん。卵巣だと思うんだけど…外科の先生がちょうど受付にいるから、見てもらおうか?」と言いました。内科の領域を出ているので、指導医でも診断に困ったようです。
何事かと思った先生達が集まってきて、狭い診察室の中は5人の先生が入れ替わり立ち替わり来ては超音波を見る、という状態になっていました。
そして診断結果は、わたしが一番恐れていたものでした。

「うん、卵巣だね。嚢腫の大きさは…10cmくらいかな。産科婦人科へ行って。」
と、妊婦時代に良くもらった懐かしの超音波写真を渡され、二科受診を言い渡されました。
わたしはしつこく「あの…便秘じゃないんですか?」と食い下がりましたが、診断は替わりませんでした。
せめて他院で…と思って「あの、今日は木曜だから、産科婦人科の初診はお休みだと思うんですけど…。」と言うと、「え?産科婦人科に受歴ないの?じゃ、先生捕まえてあげるよ。」と親切にも産科婦人科医局へ電話をしてくれました…。
結局、このまま産科婦人科で見てもらえることになり、再び医事課へ戻ってカルテの作成です。
憂鬱な気分で医事課の職員さんに「婦人科に行くことになっちゃいました〜。卵巣が10cmくらい腫れてるらしいんです。」と告げると、新しいカルテを急いで作ってくれました。
とにかく初めての科であり、受診するつもりもなかったので先生の評判も全然知りません。
不安になってカルテの作成中、「診てもらうことになったのは産科の先生でS先生って言うんですけど、知ってますか?評判とかどうですか?」と聞くと「ああ、S先生?分べん部の部長さんよ〜!優しくて良い先生みたいよ。」と教えてもらうことができ、少し安心することが出来ました。
この時点で「嚢腫の大きさが10cm」「痛みを伴う」と言うことがどんなに深刻なことか、全然分かっていませんでした。
わたしが医大の職員で、手続がスムーズに進んだということが、今後のわたしの運命を大きく左右するのです…。

産科婦人科へ行くと、待合室に再診の妊婦さんが数名座っていました。
痛みが酷かったため「どのくらい待ちますか?」と確認すると、「3人いて、1人に30分くらいかかるから1時間半くらい待つかな?」と言われ、わたしは目の前が真っ暗になりました。
そんなに長く仕事を離れることは出来ないので、順番が来たら内線で呼んでもらうようお願いして職場に戻りました。
痛みには波があり、波が引いたところで何件か仕事の調整をしましたが、再び痛みが強くなってきたため、空いている応接室のソファを借りて横にならせてもらい、おばばに報告の電話をかけました。
「心配だから、詳しいことが分かったら連絡ちょうだいね。」と言われ、報告メールを入れていたパパからも「大丈夫?」と返信が来ました。
この頃も、自分の身が大変なことになっているということに全然気付いていませんでした。

そうして唸りながら寝ていると、職場の人が「電話来たよ。歩いて行ける?」と心配しながら呼びに来てくれました。
「何とか大丈夫です…。」と言いながら、再び病院へ。
診察室へ入ると、噂通り優しそうな先生と専修医がいて、内科で撮影した写真を見ながら「間違いなく卵巣嚢腫だね。もう一回超音波で見せてくれる?」と言い、慣れた手つきで超音波をあてると「大きいねー。こんなになるまで、気付かなかったの?」と言われてしまい、恥ずかしくなりました。
「…便秘だと思ってたんです…。」
お腹を仕舞い、椅子に座ると「こんな風なものが出来てるんですよ。このタイプは殆どが良性だから。」と、リングファイルをめくって卵巣嚢腫のページを見せてくれました。
そこには絵がいくつかあって、わたしはその中で比較的多い水が溜まるタイプだと説明を受けました。
目を横へ移すと嚢腫の中に異物が入っているタイプのものなどがあり(皮様嚢腫というらしいです。ブラックジャックのピノコがこれでしたよね。)、そっちのタイプじゃなくて良かった…と少し安心しました。
「結構痛かったでしょう?よく職場まで辿り着けましたね〜。」と言われ、「いや〜。」と照れていると、「じゃ、手術しますから、ここにサインしてください。」と先生。

え?
手術…?

晴天の霹靂とは、まさにこのことです。
動揺して「…これからですか?」と聞くと、「ええ、これから。緊急オペですね。」と言われてしまいました。
心の準備が出来ていないので、手術をしない方向に話を持っていこうとするのですが、職員ということもあって先生は容赦なく病棟へ電話して、わたしが入院するためのベッドを確保しています。
動揺しながら先生から聞いた話によると、卵巣というのは肝臓と同じで沈黙の臓器なんだそうです。
痛みが出るということは差し迫った状態にあるということで、それはつまり、捻転を起こしているということ。
そして捻転を起こすとどうなるかというと、卵巣に血液などの栄養が行かなくなって、卵巣が壊死してしまうそうなのです。
そうすると卵巣まで摘出しなくてはならなくなり、そうなる前に嚢腫を取り去り、捻れを直さなければならないとのこと。


↑エンピツ投票ボタン。押すとコメントが替わります。
とにかく、明日…とか、明後日…とか、悠長なことを言っていられない状況だということは分かりました。
緊急オペで、朝食も食べてきてしまっているため、内視鏡下での手術は選択できません。
また、嚢腫の位置が高いため切開の方向は縦にしか出来ないと言われてしまいました。
ショックが冷めやらぬ中、「外来で術前検査一式やって来てね。」と言われ、看護師さんに車いすを押されて外来を回りました。
激痛で気を失う方もいるらしく、車いすの使用となったわけなのですが、そう言われると事態の深刻さが否が応でも身に染みてきます。
検査に出る前、診察室の内線を借りて係長へ報告すると「…え?!」と驚いていました。
わたしこそ「…え?!」です。

車いすを押されながら、入院に必要なものを揃えるために自宅へ戻りたいと訴えると許して貰えず、「実家から病院まで1時間半かかるから早めに連絡したい」と言うと、少しでも結果が遅れると手術時間に影響が出るから後にして欲しいと言われてしまいました。(緊急検査でも結果が出るのにはある程度時間がかかるのです。)
この時点で13時にさしかかっており、手術開始時刻も不明で、もちろん昼食は抜きという、不安で一杯の状態です。
検査を終え入院の受付を済ませて、やっとの思いでおばばに電話をすると、おばばも驚いていました。
7月1日から入園する保育園に提出するための健康診断に、ちょうどなっちゅんを連れて出るところだったおばばは「手術?入院?…え、手術はこれから?!」と、明らかに動揺しています。
とにかく早く終わらせて、こっちに来て欲しいとお願いし、パパに電話するとパパも動揺していました。
わたしも動揺していて、仕事を早退して来てくれるかどうか、確認するのを忘れてしまい反省です。(手術の同意書に家族の署名が必要なのです。)
電話にかけた時間は5分ほどだったのに、看護師さんは「早く病棟に上がらないと!」と焦っていて、そんなに大変なの?わたしって…。」と不安は更に募りました。

嚢腫のせいで頻尿になっており、検査前にトイレに行ってしまったため「病棟で提出してね。」と検尿コップを渡されていたのですが、病棟に上がってその旨を説明すると「いっそのこと、カテ(導尿カテーテルのこと。管を尿管から直接膀胱へ入れて尿が出るようにする処置。)入れちゃう?どうせ手術の時に入れるんだから、今入れたって(状況は)変わらないし、楽だよ。」と別の先生に言われました。
導尿が痛いということを知っていたわたしは(手術の時は麻酔してから入れるんだから、全然状況違うじゃん!!)と思い、「いえ、大丈夫ですから!」と慌てて断りました。
病棟まで付き添ってきてくれた係長に、さしあたって手術に必要なものを買いに行ってもらい、わたしは病室でレンタルの浴衣に着替えました。
アナムネ(既往歴や家族構成など、患者に関する様々なことを聞き取ること)を取りに来た看護師さんが「まだ手術の時間は決まっていませんけど、16時には始まると思いますから、忙しくなりますよ〜。」と笑って言い、ぼんやりと(本当に手術するんだ…)と他人ごとの様に感じました。
ところで、当たり前と言えば当たり前ですが、看護師さんの中には学生時代にわたしがお世話した子もいます。
「こんなに立派になって、まぁ…。」と妙におばさん臭いことを言って、看護師さんに笑われてしまいました。

看護師さんと入れ替わるようにS先生が来て、麻酔の方法について話し合いました。
全身麻酔か脊椎麻酔が選べる…と聞いて即座に「気が小さいので、全麻でお願いします!」と言いましたが、先生は苦笑しながら「こういう簡単な手術の場合は、脊椎麻酔なんだよね。すぐに醒めるし。」と言いました。
「でも意識あるんですよね?怖いので、全麻でお願いします!」とわたしも負けません。
「脊椎麻酔でも、眠らせることは出来るんだよ?」と言われても、「でも痛いじゃないですか!」と必死になっているわたしを見た先生が、「分かりました。全身麻酔ですね。」と折れてくれました。

先生が退室したあと、同じ課の後輩が心配して部屋まで来てくれました。
しばらく話をしていると、抗生物質のアレルギーテストと血の止まり具合をみるテストをするために再びS先生が戻ってきました。
アレルギーテストは右腕の内側へ薬剤を少量注射します。
アナムネの時にすでに採血されていたわたしは「また注射ですか〜?痛いのとか刺されるのとか嫌なんですけど…。」と情けないことを言うと、後輩に笑われてしまいました。
先生は「誰でも痛いのは嫌ですよね。でもまぁ、仕方ないですね。」とか良いながら、わたしの腕に3カ所針を刺しています。
その次は耳たぶを少し刺して血を出し、その止まり具合をみる検査ですが…何と、血が出ません!
再度耳たぶを刺されて、わたしは泣きそうでした。
耳から出た血はたちまち止まってしまったので、血が出にくい体質なのかな?と思いました。

そうして先生が検査をして出て行くと、また入れ違いに看護師がやって来ました。
後輩に「せっかく来てくれたのに、バタバタしていてごめんね〜。」と言うと、「いえ、こちらこそ大変な時に…何かお手伝いできることありませんか?」と言ってくれました。とっても優しくて良い子なのです。
横で点滴のルートを取っていた看護師さんがそれを聞きつけ「化粧落としとかあれば、持ってきてあげてください。じゃ、剃毛しますので、こちらに来てください。」と言いました。
後輩には化粧落としを買いに行ってもらい、わたしは点滴を引きずりながらしぶしぶ処置室へ。
出産の時でさえ、これが嫌で剃毛のない産院を探しまくったというのに(そのおかげで明日香医院に出会えたのですが。)こんなところで受けることになろうとは…誤算です。
ところで初めて剃毛を受けたのですが、電動カミソリ(まゆカットの大きい版みたいなもの)で剃るんですね。
しかも、完全に剃ってしまうのかと思っていたら、5部刈り(?)くらいだったので拍子抜けでした。
泡をつけてカミソリで完全に剃り取る…というイメージがあったため、構えていたよりも怖くなかったな…というのが感想です。

剃毛から戻ると、パパが心配そうな顔で病室に来ていました。
「就職したばかりで有給がないのに、早退しても大丈夫だったの?」と聞くと、職場の人が「それどころじゃないでしょ!心配しなくて大丈夫だから!!」と言ってくれたそうです。
パパが来ていることを聞いたS先生がすっとんで来て、手術の同意書にサインするよう求めました。
嚢腫が10cmあること、捻れているから腐っていたら卵巣も切除すること…といった説明を聞き、パパは本当に心配そうにしています。
そうしているうちに後輩が化粧落としを、係長も手術用品とわたしが職場へ置いてきた荷物を持って来てくれ、忙しいだろうから…と、二人で職場へ戻って行きました。
二人がいなくなってすぐ、係長に買ってきてもらった弾性ストッキングを履きました。
これは静脈瘤防止のために履かなければならないそうです。
手術をするとしばらく動けないため、エコノミー症候群みたいになるらしいのです。
メディキュットみたいに膝下の指先がない靴下って感じですが、メディキュットよりも断然きつくて、履くのが大変でした。
それから、下着をT字帯に替えました。

パパとしばらく「驚いたでしょ?」と話をしていると看護師さんが「手術、15時半からに決まりましたよ。」と言いに来ました。
それから「おへそのゴマを掃除しなくちゃいけないんですけど…。」と言うので「…へそのゴマ?!って、手術する場所には全然関係ないんじゃないですか?」と聞くと「いやぁ、ゴマは大切なんですよ、ゴマは。」と言うので笑ってしまいました。
「あ!あれも手配しなくちゃ…。ご主人、すみませんけどこれでおへそを掃除してもらえますか?」と、パパに綿棒を2本託して看護師さんは戻っていき、その慌ただしさに再度二人で苦笑です。
パパは「こんなんでいいのかなぁ?」と言いながらおへその掃除をしてくれ、それから化粧を落とし、コンタクトを外しました。(本当は付けっぱなしにしておきたかったのですが、駄目だと言われてしまったのです…。)
そうしている間に時間になってしまい、迎えのストレッチャーが来ました。
結局おばば達となっちゅんは間に合わず、パパには病室で待機していてもらうことにしました。
−−−−−−−−−−−
長いので、続きは25日の日記へ


哉 |HomePage

My追加