つぶやきダイアリー
だってこの一日はやっぱり一度しかないのですから。。
明日があるさとは言っても書けるときに書こう!
それでは、私の日常大暴露大会。

2006年12月08日(金) 下村さんを見送る日

朝がくるとやっぱり、夢なんじゃないかと思い、でも夢ではない
この現実に、私はついていくことができません。

午前中は、村の皆さんと、焼け跡の、かたづけです。
もえないものの鉄製のものなどを全部外に出します。
近所の人たちや、村の人の息子さん、ふだんは外の街に
働きに行っている人も、会社を休んで来ているそうです。
つえをついて、よぼよぼの、おばあさんもいます。
えらいことになったなぁ、と話しながら、います。
皆、黙々と、ものを外に出します。

私は、祈るような気持ちでいっぱいでした。

火事の第一発見者だった下村さんは、すぐ逃げれば逃げられたのに、
観音さまの掛け軸のあったあたりで見つかったそうです。

「お寺から預かった大事な観音さまの掛け軸だけは、もっていかなくては、と
思ったのではないか。。」と予想する皆に、
有里さんといっしょに屋根からとびおりて逃げた息子さんのアマチくんが
「掛け軸があったよ」と、丸まったかけじくをもってきました
みんなが、おお!となって、お上人さまが広げましたが、
それは百人一首の掛け軸だったので、違いました。
「掛け軸を抱きかかえたまま、発見されたら、劇的だったなぁ」と
お上人さま。

そんな話をしながらも、皆はいつか、下村さんの見つかった場所へ、
お線香を、お供えして、輪になりました。
お上人さまは、お経をとなえはじめました。
皆もいっしょにお念仏をとなえました。
ただ、ただ、祈る気持でした。

それから、火葬があるというので、火葬場へ皆で向かいました。
ご親族の方も、いらしていました。

皆で、かんおけの蓋を閉める、くぎを、打ちました。
お経で見送りました。

火葬を待っている間、息子さんの、かける君が、
「この三年、父に会っていなかった。よかったら、この三年の父の
 話しをきかせてください」
と・・。皆、下村さんとの想い出を話しました。

今も思い出すのは、無邪気な笑顔、「シーナー」と呼ぶほがらかな声。
ギターを弾きながら、ときどきぶすっとするところ。
「シーナにピアノ頼んでほんとうによかったよ」と去年のレコーディングのとき。
前世で親子だったみたいな気がする、と冗談で話したこと。
今年の大阪のツアー中に、お父さんに会いに行っていたこと。
機材を一生懸命に操作して。
とったばかりの免許で有里さんと、わたしは車にのせてもらったのでした
(あぶなかった。。)
レコーディング中は、みんなにいつもパスタやらチャンプルーやら野菜いためを
作ってくれたこと。

ひとつひとつ思い出して、わたしも話しているときに、涙があふれて、
話しつづけられなくなりました。

息子さんも、涙をこらえていました。
私には気持が何かわかるような気がしました。

火葬がおわって、みんなでお骨をひろわせてもらいました
お骨を見るまで、私は信じていなかったのですが、
お骨を見て、「下村さんだ」とわかった気がしました。

ごめんね、ありがとう。ありがとう。ありがとう。

火葬場を出て扉をあけると、そこに、小さな青い小鳥がすわっていました。
じっとすわっていて、こっちをみています。
いっしょにいた、かっちゃんと、のらやさんも、びっくりしました
「あれ、これ下村さんだ」

小鳥は、逃げようともしません。ふつうなら、この距離に近付けば鳥は逃げるのに。。
私が、手を差し出そうとしても、まだ止まっています。けがをしているのかな、と
話して、みんなで近付いたら、ふっと飛び立ちました。

ありがとう、小さな小鳥。


夜は、フリーキッズにて、下村さんの仮通夜(供養)でした。
お上人さまが、仏弟子としての下村さんを、送りました。
近くのひと、お友達、ご親族がいらっしゃいました。
皆で声をあわせてお念仏をしました。
とうとい、とうとい、命あること、そしてご縁。
下村さん、ありがとうね。忘れないから。。!
そして私たちを見守ってね。


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