つぶやきダイアリー
だってこの一日はやっぱり一度しかないのですから。。
明日があるさとは言っても書けるときに書こう!
それでは、私の日常大暴露大会。

2006年12月07日(木) 高遠に駆けつけて


昨夜、私はお寺に泊まることにして、お寺にいました。
あることがあって、自分に「ごめんね。愛してる。」と
いう言葉をかけていました。そうしたら涙があふれてきました。
それは、心の奥にとどまっていた涙でした。

そうしてずっと泣き顔でいた、その時に、お寺の電話が鳴りました。
時間は夜中の12時半、何だろう夜中にと思い、電話をとりました。

「高遠のたかこです、吉本有里さんの家で火事が出て、全焼してしまって、
 下村さん(パートナー)がおそらく亡くなられました」
私は、一瞬、頭の中がまっ白になり、何が何だかわかりませんでした。

ついさっき、メールの返事を受けとった、有里さん・・
「いつもは私が料理を作るのだけれど、今日は、誠さんに料理を代わってもらって、
 メールを打っています」
と。。
それは、、その後の出来事だった?
何が何だかわからず頭がぐるぐるとしました。

あわててお寺のお上人さま(住職)を起こし、電話を代わってもらいました

とにかく、夜があけたらすぐに、私たちは長野にかけつけることになりました

わたしは、なかなか眠れませんでした。
そして下村さんの夢でできた曲「わたしは小鳥」がなぜか、
ずっと頭の中をめぐっていました。

涙ではなく、呆然とする気持ち、どうかこれが夢であってほしい、と願って
眠りにつきました。

**

朝がきて、朝の勤行のときに「下村誠」の霊位を送る札が。

どうして・・まだ決まったわけではないのに、と思い、私はずっとぼうっとして
いました。お寺の人たちも騒然としていました。
お上人さまにどうしてか、聴きました。
「やけあとから、遺体が見つかった」

私は、何かの間違いであってほしい、とそれでもなお、思っていました。

長野へ行く車へ乗り込む、お上人さまと、静遊さんと、私。
何とか心をしずめようと、お念仏をしていました。
「人生何がおこるかわからない」お上人さまはぽつりと言いました

つい、12月1日には、お寺で、そして私の家で、3人で、新しい
アルバムのレコーディングをしたばかりでした

高遠では、隣の家のたかこさんと会い、村の方たちや地主さんが
大勢あつまっていて、警察の人、消防団の人、でいっぱいでした。
高遠の家は、焼けて、屋根がおちて、ほんとうにかなしかったです。

お上人さまがとにかくご遺体にお祈りをしたいということで
警察にいるということで皆で行きました。
そして安置室の前で皆でお念仏をしました。

その後に有里さんのいる病院へいきました。
顔と手にひどいやけどでした。
わたしは、ただ、肩をだいて泣きたい気持でいっぱいでした。
が点滴や、お体にさわると思ったのでそのときはできませんでした

子供たちや、みなが、どんどんかけつけてきました

わたしは、呆然とする気持ちを、しっかりしなくてはと自分にいいきかせながら、
その場をあとにして、お上人さま、静遊さん、たかこさんと、フリーキッズに
行き、泊めていただきました


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