昨夜、私はお寺に泊まることにして、お寺にいました。 あることがあって、自分に「ごめんね。愛してる。」と いう言葉をかけていました。そうしたら涙があふれてきました。 それは、心の奥にとどまっていた涙でした。
そうしてずっと泣き顔でいた、その時に、お寺の電話が鳴りました。 時間は夜中の12時半、何だろう夜中にと思い、電話をとりました。
「高遠のたかこです、吉本有里さんの家で火事が出て、全焼してしまって、 下村さん(パートナー)がおそらく亡くなられました」 私は、一瞬、頭の中がまっ白になり、何が何だかわかりませんでした。
ついさっき、メールの返事を受けとった、有里さん・・ 「いつもは私が料理を作るのだけれど、今日は、誠さんに料理を代わってもらって、 メールを打っています」 と。。 それは、、その後の出来事だった? 何が何だかわからず頭がぐるぐるとしました。
あわててお寺のお上人さま(住職)を起こし、電話を代わってもらいました
とにかく、夜があけたらすぐに、私たちは長野にかけつけることになりました
わたしは、なかなか眠れませんでした。 そして下村さんの夢でできた曲「わたしは小鳥」がなぜか、 ずっと頭の中をめぐっていました。
涙ではなく、呆然とする気持ち、どうかこれが夢であってほしい、と願って 眠りにつきました。
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朝がきて、朝の勤行のときに「下村誠」の霊位を送る札が。
どうして・・まだ決まったわけではないのに、と思い、私はずっとぼうっとして いました。お寺の人たちも騒然としていました。 お上人さまにどうしてか、聴きました。 「やけあとから、遺体が見つかった」
私は、何かの間違いであってほしい、とそれでもなお、思っていました。
長野へ行く車へ乗り込む、お上人さまと、静遊さんと、私。 何とか心をしずめようと、お念仏をしていました。 「人生何がおこるかわからない」お上人さまはぽつりと言いました
つい、12月1日には、お寺で、そして私の家で、3人で、新しい アルバムのレコーディングをしたばかりでした
高遠では、隣の家のたかこさんと会い、村の方たちや地主さんが 大勢あつまっていて、警察の人、消防団の人、でいっぱいでした。 高遠の家は、焼けて、屋根がおちて、ほんとうにかなしかったです。
お上人さまがとにかくご遺体にお祈りをしたいということで 警察にいるということで皆で行きました。 そして安置室の前で皆でお念仏をしました。
その後に有里さんのいる病院へいきました。 顔と手にひどいやけどでした。 わたしは、ただ、肩をだいて泣きたい気持でいっぱいでした。 が点滴や、お体にさわると思ったのでそのときはできませんでした
子供たちや、みなが、どんどんかけつけてきました
わたしは、呆然とする気持ちを、しっかりしなくてはと自分にいいきかせながら、 その場をあとにして、お上人さま、静遊さん、たかこさんと、フリーキッズに 行き、泊めていただきました
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