| Spilt Pieces |
| 2003年12月25日(木) ことば歌 |
| 悲しい言葉を綴るのは、簡単だと思った。 一時の感情と言い訳をして、痛い気持ちをぶつければいい。 並べ方・旋律。 低めの音階は、静かに降り積もる粉雪のように。 溶けて消えていく先はどこなのだろう。 それが自己満足な大地のみであるならばどんな責も負わずに済むはずなのだ。 結局私は、じわじわと誰かの心を泣かせてしまうことに耐えられない。 だから、優しい歌を奏でられる人間になりたいと思った。 それがひどく難しいことを、もう経験的に知っているけれど。 辛いとか苦しいとか、たとえどんなに表現を工夫したとしても、伝わってしまう。 そもそも言葉にする時点で伝えることが目的なのか。 そうとばかりは限らないと思うものの、表現しない言葉が伝わりにくいことを考えると、やはりある意味正しい。 悲鳴は、たとえ優しい言葉の使い方をしても聞こえる。 目に浮かんだ色を誤魔化せないのに近いと思う。 むしろ、カモフラージュされているほど、言葉は感情を裸にする。 痛いことを痛いというのは、野暮というより真実味に欠ける気がするから。 そしてきっと、曖昧で美しい旋律に、人は惹かれる。 誰よりも自分を分かってくれるのだと。 弱いのだ。 痛みを解してくれる人を求めてしまうのは、別に悪いことじゃない。 そう、思う。 反対に。 幸せを感じたとき、それを表現することが即ち「幸せを伝えること」には繋がらない。 共有できるとしたら、その人とごく近い距離にいるか、自分にも余裕がある場合だろう。 地面に叩きつけられそうな思いをしているとき、幸せそうに笑う人は遠く高いところにいるように見える。 見下されているのか。 たとえどんな表現であっても、嬉しくない。 そんなに綺麗にできていないのだ。 理想的ではないけれど。 悲しい言葉を綴るのは、簡単だと思った。 幸せ一杯な歌よりも、言葉よりも、どうしてか悲しみの歌や言葉の方が多い。 そして好まれる。 だけどそれでも、もし誰かを励ますための言葉を歌いたいのであれば、何をどう表現すればいいのだろう。 私には、できないこと。 そして望んでいること。 例えば、悲しみではない涙を誘われる小説に出会ったことが未だない。 それでも、いつか自分が誰かの喜びや幸せを少しでも呼び起こせるような言葉を、一言でもいいから歌える人間になれたら、と願う。 最近の自分の言葉はいつにも増してひどく自分勝手で、一人で悩んで悲しんでいるばかりのような気がする。 歌えないし、歌えていない。 無理をして吐き出した言葉など自分のものではないから、思いつくままに連ねていくことしか今はできないけれど。 表面なんて、どうでもいい。 言葉も、旋律も。 |
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