Spilt Pieces
2003年12月10日(水)  足跡
失敗したと思う時間や、無駄だと思う時間。
記憶そのままで時計を巻き戻し、やり直せるという夢をみた。
夢の中の私は、何度かそれをやっていた。
途中でウンザリしてやめるところまで、まるで他人事のように、観察していた。
現実的なようでいて非現実的な、よく分からない夢だった。


砂の上を歩けば、重力が確かにあるのだと、分かる。
風が吹けば流れていってしまうけれど、せめて、その瞬間だけは。
雨降り後の海はいつだって少し波が高くて、鮮明な足の形が砂に残る。
くっきりと、深く。まるで、消えない小さなにきびの跡。
潰してしまった傷の数だけ、今も顔に残るもの。
ひょっとしたらそのとき、雨が降っていたのかもしれない。
ええそうね、そういえば確かに、華やかで楽しい記憶など、いつだってこの手をするりと抜けていってしまうから。
どうでもいいようなことばかりが、今も、この脳に、胸に、感覚に、刻まれている。


書かないと色んなことを覚えていられない。
だから、空間に自分の体と心だけを投げ出されたとき、本音を言えるのかいつだって不安になる。
覚えている?とか、あんなことあったよね?とか、そんな質問に臆病になる。
ごめんねと謝ってばかりでごめん。
その瞬間、そこに自分の意識がないわけじゃないんだよ。
誰に伝えたいわけでもない言い訳を、綴る。


残されなかった「私」は、実は今も自分のどこかに身を潜めているんだろうか。
「忘れる」という行為は、先へ進むために必要なものだと思う。
心痛が、それが生じた当時と同じ鮮やかさで常に心に住まい続けるのであれば、きっと、今頃、跡どころじゃなく同じ場所に留まることしかできなくなっているだろうから。
忘れられるってことは、それを乗り越えるだけの強さを少しばかり手に入れられたという意味。
そう、思うようにしている。


形にならないものが、たくさんある。
あまりに多すぎて、時に伝える言葉を間違えてしまったり、結局何も言えずに飲み込んでしまったりする。
言う場所が与えられているのに言わないことは、考えていないことと同義に取られても仕方ない、と、かつて仲間の一人が言った。
「どうしてお前は肝心なことを何一つ言わないんだ」
そう責められて、反論の言葉を投げ返すことさえできなかった。
でも、今なら、矛盾を含んだ言葉だけど、言える。
「言ったら、嘘になってしまいそうだったから」
だって、つらつらと、その場の思いつきだけで出てくるかのような言葉に、どれだけ信憑性があるのというのだろう。
現代という社会が、窮屈だと思う理由。
自分も、相手が何も言わないと、なかなか考えていることを捉えられないから、同じ「現代」なのかもしれないけれど。
それでも、敢えて、矛盾を認めた上で、そう反論する。
もっと、形にならないものから多くを感じられる人間になりたいんだ。
雰囲気とかフィーリングとか表現すると、またいいかげんだと言われてしまうのか。
でも、現実問題として、理屈や理論や言葉や形になるものだけじゃ、生きられない。


いつだって、瞬間ごとには、真剣に過ごしてきた気がする。
怠けている時間も何もしていない時間も、必要だったりやむにやまれない心境だったりで、ある意味大切なもの。
「無駄な時間の使い方ばかり」と、嘆いているときでさえ。


激流の中を消えていく小さなあぶくのように、どこに何があったのか分からなくなることもあるけれど。
まだ、見えないものを信じられるほど、強いわけでもないけれど。
だけど見えない足跡は、きっと今も底の方に残っている。
海岸で風に吹かれて消えた文字、重力の痕跡は、たくさんたくさん海に飲み込まれつつも、かつては確かにそこにあったのだ。
私が残したものが今どこにもないとしても、同じ場所に少し違う角度で何かを残した人と、何らかの形で重なっていたのかもしれない。
残っていない足跡は、もどかしい気持ちばかり呼び起こす。
でも、たくさんの人が生きる世界の中で、自分そのものがいつか残らぬ足跡になる。
「見えない」から、「言わない」から、「残らない」から、「聞こえない」から、「ない」だなんて、とてもじゃないけど、怖くて言えない。


「時計の針を、戻してはいけない」
そんな、小さな人間の、小さな夢の話。
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