| Spilt Pieces |
| 2003年11月06日(木) 菊 |
| 夕暮れの食卓に、見慣れぬものが載っていた。 ピンク色の、細長くて小さなものの塊。 しんなりとしているので元の形はよく分からない。 「これ、ひょっとして菊の花?」 「うん、そう。よく分かったね」 「直感。というか他が思いつかないし」 母が、今日遊びに行った家の人にもらってきたのだという。 私はこれまでに黄色い菊しか食べたことがない。 それはやはり母も同じで、味はと尋ねたところ、相手の人は黄色いものよりクセがなくておいしいのよと答えてくれたらしい。 早速家に帰って花弁だけを外し、たっぷりのお湯で茹でて。 独特の匂いが苦手な私は、これでもかというくらいに鰹節をかけた。 「身体の中から菊の花に囲まれているみたい。変な感じ」 こう感想を言うと、母は「でもそんなにきつくはないでしょ」と笑う。 個人的には、隣にあったほうれん草のお浸しの方が好きなのだが。 冷蔵庫を開けると、ビニール袋一杯の、ほんのり色づいた菊の花。 どうやら明日もまた食卓に上がるらしい。 匂いを食べているかのような錯覚に陥る、口の中の花束。 初めてジャスミン茶を飲んだときのこと。 そういえば、ウンザリした顔をして気合いだけで飲み干した気がする。 それが今では、コンビニで思わず手に取ってしまうように。 人の好みって変わるものだなと、自分の変遷を思っただけでもおかしな気分。 いつか寿司や刺身を食べられるようになるかもしれない。 菊も、好んで食べる日が来るんだろうか。 …梅干だけは、無理な自信があるけれど。 話が逸れた。 菊といえば、私の中では仏花というイメージが強い。 とは言っても野に咲いている場合には全くもって想像に至らない。 花屋に行くと、だ。 あとは幼少時に見た大輪の見事な菊の品評会。 金賞とか銀賞とか書かれているものと何も書かれていないものを一生懸命比べたが、結局違いが分からずにむくれた気がする。 そのせいか、大きくなって初めて菊を食べたときはとても変な気分になった。 「これ、本当に食べていいの?」 そうやって、しつこく尋ねて困らせて。 目を閉じて口にねじ込んだそれは、鼻孔をくすぐる華々しさとは裏腹にひどく苦い。 それが数日続いたとき、「もう勘弁して」と音を上げてしまった。 視覚的に愛でる目的で人間が改良をしたたくさんの花。 そのうちの一つが食べられると聞いても、やはり不思議な感覚。 それは実際に食べても同じことで、今回も微妙に眉間に皺を寄せてしまった。 決して食用菊を栽培している農家に喧嘩を売りたいわけでもなく。 ただ単に、今現在私の好みに合わないだけのことだ。 家族はいつも、まだ子どもだなと言って笑う。 それにしても、どうして私は菊の花を仏花だと思っているのだろう。 世間一般でそう決められているからか。 自分自身の中では、全くもって実感がないのに。 実感はなくても、お見舞いに菊を持っていくのが非常識だとは知っている。 美しいと思うのに、先入観のせいか、どことなく寂しさを含んでしまう。 「結婚なんてしなくてもいいや」 あるとき、何の気なしにこう言った。 すると、すかさず母が理由を尋ねてきた。 「だって、嫁姑の確執っていうのを見たことがないから、対処法が分からないんだもん」 冗談のつもりで言ったのに、妙に真面目な顔で頷かれて驚いた。 「そうね、世の中にはとても大変な人もいるみたいだから」 ちなみに、母と父方の祖母が喧嘩している姿を私は見たことがない。 母自身揉めたことさえないと言っていたから、それも当然だろう。 母は、こういう会話のときは大抵「おばあちゃんはとてもできた人だったから」と言う。 「お母さんは至らぬ点ばかりだったのに、文句も言わずに好きなようにさせてくれたのよ。賢くて、理解あって」 止めないと、褒め言葉には限りがない。 祖母の仏壇は九州の祖父の家にある。 だが、私の家にも遺影を飾った小さな祭壇のようなものが設けられている。 死を実感したくない私は、あまりお線香をあげない。 しばしば祖母の前に置いてある座布団に寝転がって、「ちょっとばあちゃん聞いてよ」と、だらしない格好で日々のことを報告する。 祖母の前で母と2人阿呆な会話をしているときなどは、「ばあちゃん、変な嫁ですみません」と私が言い、「おばあちゃん、変な孫でごめんなさいね」と母が言う。 あまり、いない気がしない。 むしろ離れて暮らしていた頃よりも今の方がずっと近くにいる気さえして。 時折ふっと、涙が出そうにはなるけれど。 父は、私たちのように話しかけたりはしない。 ただそのかわりに、毎朝起きると必ず蝋燭をつけてお線香をあげる。 長い沈黙の時間、父は一体何を思っているんだろうか。 そして下宿中の弟は、帰ってくるとやはり一番に祖母のところへ行く。 やはり喋らない。 これは単に男女差によるものなんだろうか。 理由は分からない。 祖母の祭壇には、いつも新しいお茶と季節の果物、祖父が焼いた花瓶に入ったたくさんの花が供えられている。 朝食がパンのときには、お茶ではなくて紅茶。 母はいつも、「うちで取れたスイカですよ」とか「おはぎ作りました」とか、にこにこ話しかけつつ置いていく。 花も、大抵家で栽培したものだ。 今の時期ならコスモス、夏には向日葵といった風に。 あまり仏に供えるものという考えでは生けていないらしい。 あるときなど束になっているガマの穂まであった。 「おばあちゃんも、季節が分かっていいでしょう?」 屈託なく笑う母を見ていると、ああやはりこの人には勝てないなといつも思う。 きっと時折菊を見かけるのは、仏花だからという理由ではなくて、単に菊が綺麗な季節だからだろうと思う。 日記を書きながら、そういえば今は何があったのだろうと思って階下へ行った。 柿と、林檎と、洋ナシと、色とりどりの菊の花にコスモス、綿花にレンコン。 弟の大学合格通知や、当たるはずのない宝くじまで置いてある。 母が作ったパッチワークのチューリップ、それとなぜか砂時計。 大判の写真の中で微笑む祖母は、太陽の光に照らされた中で撮ったからか、少し眩しそうな表情をしている。 それが柔らかくて好きなのだと祖父が言っていた。 実感したくないと言ってお線香をサボってばかりの薄情な孫だけど、その空間は静かで落ち着いていて好きだと思うよ。 置いてあるものの統一感のなさも含めて、我が家の思いなのだなと。 祖母の前にある菊の花は、夕に食べたピンク色のそれほどには香りを放っていない。 かといって、寂しそうなわけでもない。 小さくてたくさんの色が集まっていて、かつて見たように良し悪しを考える必要もない。 品評会の会場ではないのだ。 母が冷蔵庫から出して見せてくれた菊の花は、触ると生気なくひやりとしていた。 「花びらだけちぎるの?」 「ええ、そうよ」 「味、というか匂いさ、きついよね」 「これはそうでもないじゃない」 「お母さんは?」 「ん?」 「苦いとか思わないの?」 「うーん、実はちょっと思ってる(笑)」 母はいつも、祖母のことを「すごく人間ができた人」と言う。 私はいつも、本を読みながら途中で寝てしまう母だけど、すごいなと思う。 明日またピンク色の菊が茹でられていたら、苦い顔をしない努力をしてみようか。 何となく、菊から感じた諸々のこと。 |
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