Spilt Pieces
2003年11月04日(火)  風景
芝の上に、ふわりと舞い落ちる薄い桃色。
柔らかい絨毯のようだ、と思った。
だけど、別にその上に座りたいというわけでもなく。
その柔らかさは、触れないからこそ分かるもの。
そんなことを考えながら、秋の風吹く街を歩く。
花の名前は、知らなかった。


母が、大学付近でイチョウの木が生えているところを教えてほしい、と言った。
何故かと問うと、ギンナンの実を拾いたいのだという。
どこにでもあるでしょう、と私が答える。
ご近所だと恥ずかしいじゃない、との返事が戻ってくる。
じゃあそのうち一緒に行こうかと話がまとまり、母は幸せそうに笑った。
「顔は似ているけど、私とお母さんって似てないよね」
言葉を聞いているのかいないのか、一瞬不思議な顔をして、母はやっぱり楽しそうに笑っていた。


凛とした空気の中にいると、背筋を伸ばしたくなる。
まるで風景に負けるのが悔しいと言わんばかりに。
悴んだ指を暖めるのも、吐いた息が僅かに白く空へと昇っていくのも、多分私は好きなのだろうと思う。
冷たく自己主張をする柔らかな耳たぶに触れながら、冬が来るねと言うと風がカタカタ音を立てて笑った。
冬が来るねともう一度呟くと、今度は何の返事も聞こえなかった。
誰が何をどう言おうとも、季節が移ろいゆくことには変わりがない。
きっと、少なくとも今は。


地平線が見えそうだと思った。
どこまでも続く田園の中に、明かりは探しても一つか二つしかなくて。
バイト中、ひたすらに黙りこくったまま外を見ている私に気を遣った友人が、「疲れたでしょう」と声をかけてくれたけれど。
「ごめん、空見てぼんやりしてたよ」そう答えると、笑って「仕事もしなさいよ」と。
月が、目を閉じたまま穏やかな表情を浮かべて佇んでいた。
地上には、夜が確かに降り注いでいる。
まだ夕方のはずなのに、と、聞こえぬように独り言を紡ぐ。
本当に、地平線が見えそうだと思った。
何もないその風景が、全てを表現しているような夜だった。
人も、空も、大地も、社会も、喜びも悲しみも何もかもを含んで。


熟れた柿の実。
渋柿なのか、細い枝が重たそうに沢山の秋の子たちをぶら下げている。
信号待ちの車の中、一つ二つ三つと数えているうちに眠くなった。
しなるその柔らかい腕は、子どもたちがポタリと落ちていくのを見届けて、きっと次の年も同じことを繰り返していくのだろう。
いつの間にか、実の数ではなくて年月を数えようとしていた。
ぱっと青色の光が燈り、そこにて数え歌は終了。
橙色のノッペリとした形が沢山、声を揃えてさようならと言う。
また通ったとしても、同じ数え方はもうできないだろうから。


静かだ、と思った。
人々が営む町は、多くの喧騒を含みつつ、しかしそれをも許容範囲として、風に揺れる水面のようにやはり音も立てずに流れていくのだと。
変えていくこととは何だろう。
自然に身をゆだねてしまいたいと願えば願うほどに、どんな変化も差異なく感じられてしまうのだから不思議だ。
だけど、自然に対して不自然でありたい私は。
現状に不満足だとばかりも言えないくせに、それでも確かな何かが他にあるのだと信じたくなってしまう。


同じところにあり続ける水は、色ばかりは透明なままでも、いつか知らぬ間に毒を孕んで濁り果ててしまう。
山水の水はいつもそこにあるかのようで、刻一刻と流れゆき、ゆえに同じ場所に同じものを求めるのは不可となる。
一瞬の安穏に身を寄せ続けたならば、流れるからこその清らかさを忘れてしまうから。
秋の風景は、今年も同じように穏やかな顔つきで訪れる。
来年の秋はどんな様子で佇んでいるのだろう。
今とは別の場所から同じ風景を見られたならば、きっととても幸せだ。
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