| Spilt Pieces |
| 2003年10月28日(火) 数 |
| 友人にDVDを貸したら、それの感想メールが届いた。 いい言葉がたくさんあってとても好きだと。 私自身はぼんやりと見て終わったものだったので、彼女の言葉を読んでもう一度見てみたくなった。 いつも、どんなものからでも学ぶものを探そうとするその姿勢。 彼女の伸びていく様子が容易に想像できるのは、だからなのかもしれない。 その話の主人公は17歳の女の子。 私も友人も今年で22歳になるから、年齢的には少し離れている。 「17歳のその子と私が同じレベルなのには目を瞑ってほしい」という付け足しを読んだら、何だかおかしな気分だった。 「主人公を描いたのは大人でしょ」と返した私には、彼女ほどの純粋さは残っていないのかもしれないと思う。 それに、いつも思うことだけど、年齢と成長速度には何の関係もない。 たかが数字に相手の人間性を期待するのは間違っているし。 もしも自分から全ての数字が取り払われたならどうなるだろう。 そんな、今の時代においてなかなか非現実的な想像をしてみる。 生まれた日も、時間も分からなかったなら。 今と同じくらいの役割期待をしてもらえるのかさえ分からない。 学年がなかったら、見栄を張ることなくもっと多くの人と仲良くなれるのか。 「先輩面」をすることなく、ありのままの自分で。 礼儀やら体裁やらを考えすぎてしまう私には、もっと遠慮がない方がちょうどいいのかもしれない。 先述の友人からの返信が来た。 「風になる」という一言だった。 秩序のない社会など混乱を招くだけ。 だから、誰も文句を言いようのない、歴然とした事実としての数字は必要なんだろう。 フィーリングなどに頼ったら、それが間違っていたときに誰も責任を取れない。 それでも。 年齢の離れた友人がいる。 上にも、下にも。 相手が幼いわけでも、私が大人びているわけでも、相手が大人びているわけでも、私が幼いわけでもないと思う。 単に、気が合う、それだけなのだと。 そういう関係を多く築けていけたら嬉しい。 ラベルに依存してばかりの人と会話するとき、いつだって私の笑いは曖昧になる。 |
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