| Spilt Pieces |
| 2003年09月23日(火) 秋雨 |
| つい数日前まで誇らしげに咲いていた夏という季節が、急に萎んだ。 靴下を履かずにはいられない気温、衣替えをしたくなる。 足をさすりながら眠る夜、この前見かけた抱き枕をやっぱり買っておけばよかったなんて、小さな後悔をする。 でもきっと私のことだ、そう言いながらどうせ買わないだろう。 夏は、その季節に酔いやすくなる。 暑さと汗を言い訳にして、机の前に座る時間が減る。 本を読む量も減る。 毎日が目まぐるしく過ぎていく気がするのは、多分夏休みのせいだけじゃない。 微かに現実感を失う季節が夏のような。 そして秋の風が吹く頃、初めて現実に戻ってくるのだ。 少なくとも、私にとってはいつもそう。 今までに経験してきた夏休みの宿題も、受験勉強も。 秋は、緩やかな低加速の時期で、その波の中にたゆたっていたくなる。 はっきりと見える現実を直視しながら。 秋の雨は、寂しくなるから好きじゃない。 冬の雨はただ凍えるだけなのに、どうして秋は感情を伴ってしまうのだろう。 やたらと感傷的。 たくさんの経験を重ねてきたのがこの季節だからだろうか、思い出すことが多すぎるというのもある。 できれば、今年は記憶に残らない時間を。 そう願うのは、少しだけマイナス思考かもしれない。 「充実」が、時に鬱陶しい。 以前、私にとって強烈な印象に残る秋があった。 馬鹿らしいと思いながらも、秋というとその年のこと。 その後の秋を、どう過ごしたのかさえ覚えていない。 だからきっと願うのは、「今年も」記憶に残らない時間を。 かつての思い出が風化するのが怖いのか。 いやそれとも実際は、願いそのものが逆かもしれない。 「今年は」記憶に残る時間を。 あの頃のことを忘れてしまうために。 全ての秋が、等しく優しいものであるように、と。 秋の日にシトシト雨が降ると、誰かに電話をかけたくなる。 同時に、一人部屋に篭って本を読みたくもなる。 普段だったら矛盾だと感じられるようなたくさんの感情が、当然のように共存している。 どうしようもなくなったら、たまに泣く。 そうすると、何が変わったわけでもないのに、不思議とバランスが取れる気がする。 秋に対抗するより、秋の流れに身を任せ、ゆるりと過ごす方が自然だから。 感傷に同化すると、もうそれ以上の秋は流れ込んでこない。 午前を回ってから降る霧雨が、一番嫌い。 そして、一番好き。 家の中にいるのが切なくなるから。 外で細かな水滴がつくのを感じると、それを誰かと共有したくなるから。 傘もささずにいつの間にか、前髪がじっとりと濡れているのを感じる瞬間。 ひどい顔だと言って、笑うのが心地よい。 街も、人も眠った時間の、小さな遊び。 常識の中で時が回り始めると、そういうことを忘れてしまう。 例えば、今。 たくさんの歌が心地よい。 多くの声と思いに共感しやすくなるから。 ペンを握って文字を綴るのが楽しい。 誰かに手紙を書きたくなる。 「ありがとう」を言いやすい季節に、人と会いたい。 人恋しくなるのは、だからだろうか。 秋の雨は、寂しくなるから好きじゃない。 だけど本当は、嫌いでもないのだと。 |
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