Spilt Pieces
2003年09月19日(金)  中心
ディーゼル車の規制が始まる。
話によれば、東京と神奈川と埼玉と千葉。
私の住んでいる茨城は規制を行わないらしい。
父が「日本全国同時にやらないと意味がない」とぼやいていた。


茨城は東京のすぐ隣の県だが、性格が大きく異なる。
農業県というだけあってか食べ物も豊富で、大きな自然災害があったとしてもしばらくは生活していけるだろうと思う。
父はサラリーマンで母は専業主婦という我が家だが、夕の食卓に載るおかずを数えると、買ったものが少ない。
夏場学校へ行こうと思って門を開けると、近所の農家の人が置いていってくれた大根やらとうもろこしの袋にけつまずく。
さっき冷蔵庫を開けたら、家庭菜園で採れたトマトが溢れるよう。
延々と続くハス畑、名も知らぬ白い鳥。
金銭的に贅沢な暮らしを送っているわけではないけれど、時折その豊かさに気づいて緊張する。


近所の美容院は、チェーン店ではあるけれど好きな美容師さんがいる。
いつも彼女を指名して、心地よい時間を過ごす。
見栄を張る気もせず、家の近所だと言っては化粧もせずに行く場所。
予約の時間よりほんの少し早めに行って、受付前の待ち席でパラパラと雑誌をめくる。
美容院独特の香り。
昔からどこか落ち着かないけれど、それでも好きだと思う。
ヘアカタログ以外に、ファッション誌や女性週刊誌が置いてある。
ちなみに、毎回開いてしまうのはワイドショー記事ばかりの女性週刊誌。
他のものは自分で買う可能性があるから、折角なら普段読まないものを。
芸能人のゴタゴタを読んでいるときに名前を呼ばれると、意味もなく恥ずかしくなってしまうのはどうしてだろう。


髪を切ってもらっている間、アシスタントさんが気を利かせてかよく新しい雑誌を持ってきてくれる。
やはり年齢を見てだろうか、ファッション誌ばかり3・4冊。
別にわざわざ換えてもらうほど週刊誌を読みたいわけでもないので、何も言わない。
だけど時折そのまま前のお客さんが読んだものがそのまま置かれていることがあって、以前それを読んでいたらいつもの美容師さんに声をかけられた。
「そういうのよく読むの?」
「たまに、あれば開く感じですけど」
広げっぱなしのページには、整然とした部屋が写真つきで載っていた。
都会のどこかお洒落なマンションの写真だったろうか。
「こんな綺麗でかっこいい部屋、素敵よね」
「でも、私は見るだけでいいかなって思います…住むならもっと雑然としていないと」
「あはは。そうね、確かに。あとは…」
「?」
「私、方言すごいのよ」
「そうなんですか?いつも標準語だから分からなかったです」
「接客業だから、必死で頭の中で変換作業中(笑)もうすごいのよ〜。あ、でもね、私本当は方言の方があったかくて好きなの。話してるの聞いている方は汚く感じるかもしれないけど」


スタイルがよくて、顔も綺麗でセンスもある。
高校の頃から担当してもらっている彼女は、もうすぐ30歳を迎えるという。
休みの日はどのように過ごしているかと以前尋ねたら、自分の店を持ちたくて貯金しているから、月に5日くらいしか休みを取らないし取ってもカットの講習会や部屋の掃除やらで終わると言っていた。
「結局私、この仕事好きなのよね。よく、仕事バカって言われるけど」
そう言う彼女の手は薬品のせいかガサガサだったけれど、笑った顔がとても美しい人だと思った、元々の形云々を抜きにしても。
そんな彼女は、きっと雑誌などで輝く女性として紹介されたとしたら素敵に写るだろうと思う。
そして、その気になれば「洗練された部屋」がいつだって似合う人。


先月お台場へ行ったとき、少し気持ちが高揚した。
お洒落なパスタのお店でおいしい食事。
レインボーブリッジがよく見える。
クリスマスにはこういうところ予約でいっぱいなんだろうね、と言いながら缶詰じゃないマッシュルームのたくさん乗るピザを頬ばった。
でも、人工の街は、静かだったけれどどこかがぽっかり開いていた。
たまにはいいねと言って笑う。
あくまでも、「たまには」と。


やたらと生活臭のするこの県は、雨の日には土と太陽の匂いがして、そこら中から大嫌いなミミズが這い出てくる。
黄色信号は「ススメ」で、農道から出てきた軽トラは急に飛び出す割にはスピードを出さない。
畑の真ん中に、やたらと売れるドラ焼き屋がある。
夕方には売切れだ。
休みの日、隣の家では朝から庭ではしゃぐ子どもの声がする。
人見知りする私は、今も上手に声をかけるタイミングをつかめずに戸惑う。
近所のおばちゃんの話す茨城弁は未だにちっとも分からない。
だけどこの県は、この県だけで風景が成立している。


ディーゼル車の規制が始まるらしい。
話によれば、東京と神奈川と埼玉と千葉。
私の住んでいる茨城は規制を行わないとのこと。
きっと、茨城や栃木といった規制を行わない周辺の県にひどい排気ガスが集中するだろう、と父が言っていた。
4つの都県は自分らの土地さえよければ他がどうなってもいいんだろうか。
それとも、この県が変わろうとしなかったのがいけないんだろうか。
だけどもしここが規制を行ったとしたら、違反車が他へ移るだけのことだ。
「日本全国同時にやらないと意味がない」という言葉の意味を考えた。
そうだな、じゃあ結局悪いのは国か。


でも、どうして明らかに結果が予想できるのに、茨城は規制を行おうとしなかったのだろう。
政治家の利権問題だろうと考えながら、選挙のときに見た「昔ながら」の瓦葺の家の数を思い浮かべた。
変わるために、独裁者が必要だとは思わない。
時間はかかるかもしれなくても、そんなものに頼りたくないから。
雑誌「モーニング」で連載中の「キマイラ」という漫画がおもしろいと思う。
正確に言うと、あのテーマに対して作者がどういう結論を出すのかに興味があるのだが。


自分の変わらぬ利益を欲するばかりで先を見ないのであれば、結局は全てはマイナスへの強制的な移行を余儀なくされるだけだ。
ゆるやかな時間など、何もせずに続くとは思えない。
日本の中心は、東京でもなければ京都でも大阪でもないと思う。
人が生きる場所全てが中心であっていい。
だからって、あまりに分断された「地方分権」は協力精神がないかのようで。
ヒトリヨガリな意味ではない「住みやすいところ」が、もっと増えればいいのに。
文句を言うばかりで具体的に動く方法を考えられない自分も情けないけれど。
「キマイラ」の登場人物たちは、たとえ間違っているかもしれなくても、少なくとも目先のことに捉われることなく未来を真剣に考えている気がする。


変わらないためには、変わっていかないといけない。
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