Spilt Pieces
2003年09月16日(火)  壊す
母が出がけにチャーハンを作っていってくれた。
週に一度のパッチワーク教室。
せっかく行くのだからもっとゆとりをもって行けばいいと思うのに、いつも慌しく出発する。
「窓の鍵閉めていく?」
「洗濯物そのままでもいいかな?」
確かにぼーっとしているけれど、もうそんなに子どもじゃない、と思う。
気のない返事ばかり投げ返す私に、母はもどかしそうな表情をする。
「行ってきまーす」
勢いよく玄関を開けて出て行く母を見ていると、まるで自分の方が老いているような気さえしてしまう。
少し気合いを入れるかと、軽く着替えてテレビをつけた。


「いいとも」を見ながら、先ほど母がリビングに置いていってくれたチャーハンのラップを取る。
仄かに温かい。
何度自分で挑戦しても、やはりおいしいと思うのは母があり合わせのおかずで作るチャーハンのような気がする。
まだまだ、ちっとも追いつかない。
冷蔵庫の中からアイスコーヒーの紙パックを出して注いだけれど、あまりチャーハンには合わないと思った。


久本雅美は綺麗な人だと思う。
やはり生き生きしている人はいいな。
実際に会って話したことがあるわけじゃないから、あくまでもイメージだけど。
粗相のない格好をして画面に登場する顔形のいい女性は、好きになれないことが多い。
まだ持って生まれた以上の綺麗さを得るほどには自分を持っていないからかもしれない、なんて、自分のことを棚に上げてチャンネルを回し始めた。
やたらと表現の大袈裟な通信販売の番組を意味もなく見る。
「…どこが安いんだ?」
思わず口に出しそうになった言葉を、辛うじて心の中だけで留めた。
ケーブルテレビの契約をしているので、見られる番組は多い。
音楽クリップばかりをずっと流している番組をよく見るが、チャンネルを回したときはたまたま浜崎あゆみをやっていた。
前は苦手だったのだけど、最近好きになった。


英語だらけの番組では、赤ちゃんの成長について取り扱っていた。
そういえば、今朝友人から来たメールに、小学校の同級生が既に結婚して子持ちだということが書かれていた。
当時すごく仲のよかった子だったので、驚いた。
もうすぐ結婚する子もいるという。
人生色々だな、と、変わり映えしない自分の生活にがっかりした。
実際にチャンネルを「回して」いた頃赤ん坊だった私たちの世代は、いつの間にかリモコンが当然の時代に生きていて、子どもを産んでいてもおかしくない年齢を迎えた。
不思議な感じだ。


独り言のような思考回路が、ふと止まる。
50数チャンネル回してNHKにまで辿りつくと、何やら物騒な映像。
爆発音と、ガラスの飛び散る映像。
その直後から、ディーゼル車が出すよりもっと濃い、黒い煙が立ち込める。
現場の記者が動揺した口調で中継をして、きっとゆったりとした椅子に座っているだろうアナウンサーが冷静な口調で様子を尋ねている。
名古屋での出来事。
詳しいことはよく分からないけれど、大変な状態ということだけはよく分かった。
消防車の放水で、カメラに水滴がついているらしい。
現場の視界がやたらと伝わってくる。
境界線は、自分の顔が濡れていないことと、生命の危険がないこと。


犯人は、ガソリンを撒いたのだと言っていた。
頭できちんと考えればどれほど危ないことなのか分かるはずだろう。
それさえ吹き飛ぶほどの心理状態に、警察の説得というのはどれほどの意味を持つのだろう、と思った。
必死で説得していただろう警察官を責めたいだなんてまさか思わない。
ただ、テレビの刑事ドラマと現実は違うのだなと思う。
本当に難しい仕事だ、と。


相手の人生と自分の家族の苦しみを、たかが給料三か月分と天秤にかけようという時点で、何かが歪んでいる。
だけど。
それくらいの歪みなら、今の時代誰にだって生じさせてしまう可能性があるのではないか。
幸い私はそこまで追い詰められた心境を味わったことはないけれど、人間なんて誰もが弱いのだから、ちょっとした弾みで何がどう変わるかなんて予測もつかない。
頭で考えて分からないから、人の心はブラックボックスなのだ。


だからといって、私は自分がそうはなりたくない、と思う。
たとえ他人を傷つけることが悪であるという道徳そのものが人間同士がうまくやっていくための後づけの理論だとしても、それを信じていたくなる。
壊すのは、一瞬。
組み立てるのは大変なこと。
当然のことが分からなくなるばかりか、鬱陶しくなることだってある。
禁止されたことを破りたくなる思春期の青少年の心理は、大人になると抑圧されるだけで、誰もがどこかに持っているのではないか。
壊すのは、一瞬。
組み立てるのは大変なこと。
分かっているのに。


何かを作っていくには、労力もだけど、それ以上の数の我慢がたくさん詰め込まれている。
誰かがその我慢を一つ破れば、それまでの我慢が全部無駄になってしまう。
危うい橋、危うい状態。
昔ジェンガというテーブルゲームが流行したけれど、あれを抜く人の数よりも戻して整えようとする人の数が多いから、たくさんのことが保たれているのではないかと思う。
他者が愚かしいことをするのを見て、冷静な人たちはため息をつく。
そのため息の数だけ、とりあえずは同じことが阻まれる。
だから私も、ニュースを見ながらため息をついた。
ああ違うな、別に「だから」というわけでもなく、単に気づいたら出ていただけだ。
理由なんて後からつけても十分通じてしまう。
危ない、危ない。


NHKだけではなくて、他のテレビ局でもほぼ同じ報道がされていた。
最初ウンザリして見ていたはずなのに、一人だったせいかいつの間にか泣いてしまっていた。
我ながら困ったものだ、結局はこれが結論らしい。
もっと単純に割り切れれば楽なのに。
犯人の心境やら巻き込まれた人・家族の心境やらを考えすぎた。
テレビを見ていると感じることが多くて疲れる。
いつの間にか、最近はバラエティ番組の方が好きになってしまった。
テレビの電源を切る。
母が早く帰ってきてくれればいいのに、と思った。
そうすれば、妙な方向の痛みを覚えることなく、あっけらかんと犯人を罵倒できるのに。


爆発の瞬間、飛び散ったたくさんの紙。
ガラスの破片がもしも自分の頭の上に降ってきたら、などと想像する私は少し発想がおかしいかもしれない。
人間の営みって、絶妙というよりは微妙なバランスの上に成り立っていて。
そのぐらぐらと揺れるものの上にいる自分が揺れない方が不自然だろうと、自分を慰めつつ。
ひらひらと空を舞ったその紙は、多分ほんの数時間前まではとても大切なものだった。


空が高くて、微かに吹く風は少しずつ秋色になってきた。
昼間からどうしてこんなに疲れているんだろう。


心に沁みない、明るいだけの曲を聴きたい。
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