| Spilt Pieces |
| 2003年09月17日(水) 音 |
| 私は普段、感情を剥き出しにしたような曲ばかり好んで聴いている。 落ち込んでいるときに明るい曲で無理に励まそうとするのが苦手だ。 ネガティブな雰囲気に浸って、最後には「これじゃいけない」と立ち直るのがいつものパターン。 だけど、心に沁みてくる音というのは、時と場合によって随分異なる。 どれがいい、という具体的なイメージがあるわけでもない。 そういうときは、仕方なく持っているMDを片っ端から再生することになる。 あれも違う、これも違う、とクルクル変更。 もし同じ部屋に誰かいたら、苛々して電源を落としたくなるに違いない。 昨日は結局30枚近く交換して、数年聴いていないような曲に落ち着いた。 その間に手紙を3通ほど書き上げてしまったので、我ながら随分と長い間悩んでいたらしい。 優しさって何だろう、と思う。 分かっていることと実行することの間にはひどく溝がある。 例えば私は気を遣われることに窮屈を感じるが、他人には思わず平気かと尋ねてしまう。 相手を思いやるというよりは、自己満足のような。 心配になったときも、一瞬考えて口を噤むことを選択できる大人になりたい。 こういった優しさは、音にも自然と表れるんだろうか。 本当に気分が滅入ってしまっているときは、押しつけがましい応援の歌など鬱陶しいだけだ。 昨日選んだのは、明るい曲でも暗い曲でもなかった。 ただ静かで穏やかな声が、微かに切なさを含んだ恋愛を描いている。 今の自分に当てはまるかどうかなんて関係なくて、何となく心に流れ込んだ。 透明すぎるものに出会うと、少し息が苦しい。 感情さえ見えないような純粋さは、知らぬ間に時折誰かを追い詰めてしまうから。 ほんの僅か濁りの混じっているような音は、ほとんど透明に近い割に不思議と心地よかった。 思わずリピートボタンを押す。 かつての恩師、留学中の友人、農業体験で出会ったちょっと年上の友人。 気がついたら穏やかな手紙を綴っていた。 切手を選ぶのも楽しい。 伝えたい言葉を詰めながら、封をする。 カラオケに行くとき、女性ボーカルの曲を歌うのが苦手だ。 普段の声の高さとは逆に、低い音しか出ないから。 いつか、優しい表情で優しい音を奏でられる女性になれたら、と思う。 透明に泣く方法など知らない。 でも、泣きたいときくらいある。 だからそういうときは、口の中の氷砂糖みたいに自然な溶け方に身を任せていたい。 優しい音は、ほんの少しネガティブな私を引っ張り出して、たくさんのポジティブな私に力をくれる。 激しさはない、共感もない、ただ水に抱かれているような。 「ヒーリング」と題された音と気が合わないことが多い。 何が癒しであるかなんて、きっと人によって随分違う。 |
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