Spilt Pieces
2003年09月07日(日)  色々
「あなたの言葉は、痛いくらいに核心をつくことがある」
数日前、友人に言われた。
相手の言葉の外にある感情に気づいたとき、幼い私は時折それを指摘してしまう。
傷つけることがあるのだろうと、分かっていた。
でも、言わずにいられないときもあって、そんなとき私は自分の感情ばかりを優先させる嫌な人間だと思う。
発さず誤解されるよりは、発して誤解される方がマシだと思っているからかもしれない。
それがあまり賢い選択ではないことも、分かっているつもり。
あくまでもいつも、「つもり」なのだけど。


「でも、私のためを思って言ってくれているって分かるから、平気」
フォローされた。
だけど、本人も分かっていて、そして苦しんでいるようなことを、敢えて直視させるのは優しくない。
それが有効となりうる場合があるのは自分の経験でも知っているけれど、その限りでもない。
「逃げる」ことが悪いことだとは思わない。
時に後ろに向かって走ることで前が見えることだってある。
逃げようとする人の腕を掴むことが果たして相手のためになるのかは、それこそケースバイケース。
私はまだ、その見極めができない。
何度人を傷つけただろう。
自分にだって、見たくない現実くらいあるはずなのに。


沈黙は、時に優しい嘘となる。
流れるように笑っていられたらいい。
私の周りにいる人たちは、無意識的にかもしれないけれど、そういう優しさを持っている人が多い。
心が痛くなるような指摘は一切しない。
私が話し出すまでは何も聞かない。
話し出したら何時間でも聞いてくれる。
恵まれていると思うのに、どうしてかその分本音を言えない。
自分でも分からない感情が押し寄せてきて、ただひたすら泣いてしまうような夜も。
頼られるのは嬉しいのに、私自身は誰にも連絡を取る気がしない。
心地よすぎて壊したくなくて、嫌な自分を見せたくなくなるのかもしれない。


「支えてくれる人がいることを知った」
先述とは別の友人が、実感のこもった雰囲気でそう言ったときのことをよく覚えている。
「よかったね」
返事をした私は、まだ彼女の位置にまで達せられない。
『頼ることは恥ずかしいことじゃない』人にはそう言える。
だけど自分に言うのは難しい。


自分の辛さばかりを殊更にアピールしてくる人が苦手だ。
こちらの状況も心境も無視して、ただ鬱々とした言葉を送りつけられると嫌になる。
でも、「支えてくれる人がいることを知った」と言った彼女の辛い言葉を聞くことは平気だから不思議なもので。
私は器用でもなければできた人間でもないので、全ての人に優しくすることはできない。
大切だと思った人のためなら、夜中でも駆けつけたいと思うのに、そうでもない人の場合はちょっとした愚痴を聞くのも疲れる。
完璧な人間なんかじゃいられない。


「頼まれごとを断りきれない」
そう言ったら、友人に笑われた。
「断ればいいじゃない」
簡単なことなんだろうな。
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