Spilt Pieces
2003年09月06日(土)  手紙
この前行った長野で仲良くなった人から、手紙をもらった。
その人は昔保母さんをしていて、今は一年間のボランティア活動をしている。
農作業をしている写真なども同封されていて、「今度私が住む村にも遊びに来てね」と書いてあった。
はい、ぜひと書いた返事は、まだ鞄の中に入ったまま。
手紙を書くのは割と早い方なのだが、ポストへ行くのをつい忘れてしまう。
「私の顔も忘れないで下さいね」と写真を同封したものの、送らないのでは話にならない。
書くだけで満足してしまうのは、相変わらずの悪い癖。
悲しいことに、手紙は、相手に届かなければ意味を持たないらしい。
って、当たり前か。


筆不精というよりむしろ出し不精の私が、文通をしている相手がいる。
届かなかった手紙が部屋に溜まっている。
結局、一年も相手の元へ手紙が届かなかった。
こんな私とよく気長に続けてくれたものだと思うと、頭が上がらない。


最近は、文通をしている人というのをあまり聞かない。
たまにいても、見ず知らずの人とやっている人というのは珍しいらしい。
ほとんどメールになってしまったからだろうか。
それとも、見ず知らずの人、というのが怖い時代だからだろうか。
メールと違って、住所から本名まで、個人情報が筒抜けなのが文通だから。


彼女と文通を始めたのは、高校三年のときだった。
とあるところで募集の掲示を出していた彼女に私が手紙を書いたのが最初だった。
電話をしたことも、メールをしたことも、写真を交換したこともある。
だけど、会ったことがなかった。
会う・会わないくらい、この際たいした問題じゃないような気がした。


彼女は気が長い。
そして寛容だと思う。
何度も途切れる私の手紙に対して文句を言うことが一度もなかった。
一年ぶりに手紙を書いても、すぐに返事をくれるような人。
会わないことが自然だった分、会うことが決まったときは何だか怖かった。
会った瞬間全てが終わってしまったらどうしようと思った。
口で話すより文で話す方が変なことを言わずにすむ。
それに、会ったことはないものの、周りの軽い付き合いの人なんかよりずっと私のことを知っている。
変な感じだ。
本当に、それ以外表現の仕様がなかった。


色んな緊張を抱えつつ、あっという間に来た今日という日。
実際に会ってみると、身構えていた自分が馬鹿に思えた。
彼女は、久々に会った友人を迎えるような表情で私を見た。
他に一人彼女の友人がいたこともあって気を遣ってくれてはいたけれど、自然な感じだった。
おかげで私は、「人見知りする」と何度も宣言しておいたくせに、案外そうでもなく、たくさん話せた。


あっという間の二時間。
霞ヶ浦の近くを少しだけ案内して、駅へ。
「また会えるといいですね」
何よりも嬉しい言葉だ、と思った。
笑顔が素敵な、かわいい人。
ほんと、また会えたらいいなと思う。
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