Spilt Pieces
2003年08月09日(土)  与
母が、早く風呂に入れと階下から私の名を呼ぶ。
入りたくない、と私は言った。
何となくそんな気分ではないのだと。
しかしやはり入らぬわけにもいかない。
一人で住んでいるのではないのだから。
結局、少しふくれた顔をしながら階段を下りていった。


一人暮らしをしていた頃、私は自分の時間だけを考えていればよかった。
食事も風呂も睡眠も。
自分の好きなことをやっていても、「我儘」と称されることはなくて。
一人ということは、そう評価する人さえもいない。
風邪を引いて、音もなくベッドに潜っていると、自分がとても孤独な人間に思えた。
寂しくて、だけど誰にも心配をかけることがないのは嬉しかった。
そして時折、何をどうすることがいいのか、分からなくなってもいた。


実家に戻ってきて、一言も喋らない日が消えた。
どこへ行かなくても、必ず家族とは口をきく。
寂しさを自覚する暇もなく、昨日と今日の区別もつかぬほどに、緩やかな時間が流れていく。
多分私は、何だかんだと文句を言いながら、結局は家族が好きなのだろう。
ずっと家の中にいても平気。
困ることといえば、「困ることがないこと」くらいなもの。


そんな私が言うのは、おこがましいだろうと思う。
だけどぼんやりと、今日の会話から気づいたこと。
風呂に入るか入らないかという、どこの家庭でもありそうな些細な話題。
家の中にいると出てきてしまう、小さな我儘。
たかがそれだけではあるのだけれど。


誰かと共にいるということは、覚悟が必要なのだということ。
相手の時間をもらう。
自分の時間をあげる。
一緒にいる、って、そういうことかもしれない、と。
与えられっぱなしではいられない。
一方的な関係など、いずれ破綻する。
(それは私自身が我慢できないというのもある。負い目を感じるのは嫌いだし。)
今さら。
だけど改めて。


気が強い私は、好き嫌いもはっきりしている。
全てを受け入れることができたらなら楽そうだけど、生憎とそうはいかない。
少しでも、受け入れられるものが増えればいいとは思うけど。
常にニコニコ笑っている自分など、正直言ってちょっと気持ち悪い。
想像がつかない、というのもある。


好き嫌いがはっきりしているということはどういうことか。
余計な言葉を纏わらせることなく表現するならば、嫌いな相手のために時間を使うことが嫌なのだ。
我ながら身も蓋もないが。
ただでさえ自分の時間を「犠牲」にするのはストレスが溜まる。
基本的に、誰かのために時間を使うことは好きな方だが、意にそぐわないことを強制されてなおかつそこから学ぶことがないのであれば、それは自分にとって「犠牲」にしかならない。


かつて友人と結婚に関して話をしていたとき、彼女は「我慢できる相手なら結婚するかもしれない。若いうちに子どもを産みたいから」と言った。
そのとき私は、随分いいかげんだなと思ったし、実際彼女にもそう言った。
だけど、こういったことを考えているうちに、案外的を得た表現なのかもしれないと思い始めた。
なぜなら彼女は、「我慢できない相手」と結婚はしないということだから。
なるほど、そう考えてみれば私もある意味同意見だ。
単に「我慢」の基準が違うだけのこと。
彼女は「一緒にいて嫌じゃなければ我慢できる」と言い、私は「一緒にいて嬉しい人ならば我慢できる」と言う。
許容範囲の相違。


共にいる、ということには、ある程度の覚悟を伴う。
好きな相手と一緒にいるのであれば、「自分の時間を与えている」という意識を持つことがない。
むしろ、「相手の時間を与えてもらっている」感謝の気持ちを覚える。
「一緒にいてくれてありがとう」という感情だ。
一見して「与えている」かのような行為でさえ、自分の得るものが大きいと思えば「与えられている」と感じる。


「与えている」と感じることの少ない出会いが多いとき、私はとても満たされているような気がする。
好きな相手なら、相談を受けても用事を頼まれても、振り回されても楽しい。
それはきっと、「必要とされている」と感じることで生まれる喜びを、相手が与えてくれるからなのかもしれないなと思う。
好きではない人と一緒にいたいとは思わない。
それは多くの人が思うことなんだろう。
学ぶ機会を自ら削っている気がして反省することも多々あるけれど、それでもやはり私は、「与えている」意識を持ってしまう関係は好きじゃない。
一方的な関係など、いずれ破綻する。
だから形式的には与えていることになるのだろうと思うし、やはり相手のための時間を設けるということ自体には覚悟も必要となってくる。
だけど、本質的には「与えられている」と感じられるような。
それくらい大切な相手と一緒にいられたなら幸せ。


もし将来結婚するのだとしたら、友人も私も、お互い「我慢」せずにいられる相手とめぐり合えるといいな、なんて思った。
一人でいる時間が好きな私でも、ずっと一緒にいたいと思えるほどの人にいつか出会えるんだろうか。
曇って先が見えない将来のこと。
見えないだけにおもしろい、なんて、楽観主義の私は思ってしまうのだけれど。
ああそれにしても、好きか嫌いかの2件法だなんて、我ながら表現が幼いな。
近頃どうも文章がまとまらない。
矛盾しているようであれば、それは単に私の文章力が足りないだけのこと。
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