Spilt Pieces
2003年07月30日(水)  香水
今日高校の頃からの友人と遊びに出かけた。
昔は化粧というものをほとんどしなかった私ではあるが、近頃は外へ出るときは一応一通りはするようになった。
気まぐれに、シュッと一吹き香水をつける。
自分では買わない。
以前大学の友人たちからもらったものを、少しずつ使っている。
私一人にだけ香るような、仄かな飾り色。
「昔は嫌いだったのに」
ふと、不思議な気分になる。


私は汗っかきだ。
新陳代謝もよく、人間的にはいい身体に生まれたとは思う。
ただ厄介なのは、化粧をする国の女に生まれたということ。
贅沢を言ってはいけないが、数時間経たないうちに崩れるメイクを見ていると、少しだけ溜息をつきたくもなる。
周りにあまり外見を気にするような友人はいないが、時間が経ってもさして変わらない肌に出会うと、羨ましくなるというのも本音。
…話が反れた。
ともかくとして、私はよく汗をかく。
当然のように、汗の匂いも生じる。
最近CMでやっている制汗スプレーも買ってみたが、さすがに一日は持たない。
夜になる頃には、どうしたって多少汗臭くなる。


朝つけた香水は、夕暮れになっても僅かだが残る。
ふとした瞬間、鼻腔に絡まって。
汗の匂いを忘れる。
今日一日が暑かったということを忘れそうになる。
だけどそれは、あくまでもごまかしにすぎないのだ。
油絵は、重ね塗りをしても削れば前の色が出てくる。
それと同じこと。


小さい頃、よくかさぶたを剥がしては怒られた。
そして自分でも、痛いと言っては泣きべそをかいた。
だけど、幕の向こうで演奏の準備は着々と進む。
薄皮が張っているのを見て、自分の身体が働いていることを知る。
見えない、見せない、舞台裏。
だが実は、かさぶたさえあればきっと、身体が怠けていても気づかない。
「覆うもの」は、諸刃の剣なんだろうか。
そうだな、もしも。
香水がきつすぎて汗の匂いを全く感じなかったなら。
それはそれで怖いことなんだろうと思う。
極端な話、自分は汗をかかないと錯覚してしまうかもしれない。


結局何を書きたかったんだろう。
お風呂で身体を洗いながら、纏っていた薄い香水という膜を消したとき。
ふと、さっき送信したメールのことを考えた。
自分の取りたいスタンスと、湧き上がってくる素直な感情との矛盾。
返信を書きながら、自分がイライラする原因はひょっとしたらこれなのかもしれないと思った。
「こうありたい」と願う自分はいつのときでも(時が経つにつれて少しずつ変わってはいくけれど)あるはずなのに、素直な欲求は時折それに反する。
理想と現実のギャップ、と言い換えれば分かりやすいかもしれないけれど、言葉で単純に片付けられるような問題でもない気がした。
誰が邪魔をしているわけでもない。
私は自分の思うとおりに動けるはずなのに、なかなかうまくいかない。
たとえどんな理想があったところで、それで覆って誤魔化したところで、自分の本質が変わるわけじゃない。
目標は、ないよりある方がずっと、学ぶことも多いのだが。


責めてくれないことが辛いと思っていた。
だけど、責められることも辛いのだと知っている。
優しい空間が好きで、幸いなことに周りはそれを与えてくれる。
足を、少しずつでも前に踏み出すことを。
現実として実行することの重要性を。
手探りでも、綺麗な香りに誤魔化されながらでも、かさぶたで守られながらでも、理想論だと人は笑うかもしれなくても、たどり着きたい場所を持つことは悪いことじゃない。
汗の匂いが香水と同じになることは不可能だろう。
かさぶたを剥がして、前と全く同じ肌となることも不可能だろう。
だけど人間としての内面的矛盾は、自律神経によるものではない、意思で努力できる範囲を大いに持つ。
いつの日か、差が埋まるよう。
何てことない日々の積み重ねの中で生きている自分ではあるけれど、少しずつ何かを変えていけたら、と思う。
そんな毎日を、過ごしている。
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