Spilt Pieces
2003年07月24日(木)  意味
ちょうど午前を回った頃、高校の頃からの友人から電話がかかってきた。
久し振りということもあり、携帯電話だというのに2時間以上の長話。
高校の頃の思い出話で盛り上がったりしているうちに、何となく恋愛に関する話題になった。


「キスなんて、たいしたことないよね」
突然彼女がそう言うので、びっくりした。
「でも何とも思ってない人とはしないでしょ?」
「そうだけど、外国だと結構みんな普通にしてるじゃん」
そういえば、彼女の家もそんな感じだということを思い出した。
それを裏付けるかのように、彼女は言葉を続けた。
「私は小さい頃からキスって家族愛の表れみたいに捉えているから」
ああなるほど、と思う。


電話でしゃべっていた彼女が、もしも「家族愛」として捉えていない人に突然キスをしたならきっと相手は勘違いしてしまうだろう。
ただ、彼女にとっての意味を知っているのであれば納得できる。
何が当たり前なのかなんて分からない。
少なくともキスに関しては、私が持っている理論は彼女には通用せず、彼女が持っている理論は私には通用しないのだなと思った。
育った家庭環境が違うということが大きな要因だろうが、認識が異なっているのだ。
きっと、こんな原因で理解できないことも多いのだろう。
周りから見て奇怪なことが、本人にとってはなぜ奇怪であるのかが分からない。
「違い」を認め合うということは、言葉でいうほど簡単じゃない。


一つの行為に対する意味づけを考える。
大学1・2年の頃は、男友達の部屋にも平気でお風呂を借りに行っていた。
宿舎で共同の大きなお風呂が早い時間に閉まってしまうということが皆の認識の中にあったので、二人きりになったからといって勘違いするような者は誰もいなかった。
その「認識」がない他大学の友人に話すと、口を揃えて「信じられない」と返ってくる。
仲間内での「認識」そして「常識」が、社会から見ると「非常識」であることはよく分かる。
だから、社会に出てから同じようなことは決してやらないと思う。
「これはこういう意味」と勝手に捉えてしまうことの恐ろしさ。
TPOを考えろとはよく言われているけれど、それ以外にその集団内や個人の中にある考え方や背景を知る必要があるのだろうと思うし、最近は何よりもそれが一番大切なんじゃないかとも思う。


「常識」「当たり前」「当然」「普通」。
こういった言葉が苦手だと感じる。
それは小学生の頃から変わらない。
冗談で「信じられない」と言うことはあるが、もしもそれを本気で言ってしまったならきっと相手をひどく傷つける。
自分と相手の根底にあるものが異なるだけのこと。
変だなと思うことはあっても、それを頭ごなしに否定してはいけないのだろうと思う。
「思うばかり」かもしれない。
自分がどの程度実践できているのかというと、正直自信がない。
ただ、かつて自分のものさしだけで私を測り否定した人がいて、ひどく悩んだことを覚えている。
今となれば彼女の考え方の幼さを思って我慢することもできるだろうが、当時は自分ばかり責めていた。
同じ思いを誰かに味あわせることのないよう、自信がなくても努力はすべきだろう。


何となく捉えてしまっていることを、ふと思い出す瞬間。
親しい友人と話していると、相手も自分も遠慮がないこともあって、「気づく」ことが増える。
昨夜電話をしていた友人が何の気なしに言った言葉だった。
大切なことを思い出させてくれたけど、きっと本人はそれを知らない。


毎日は、痛みを伴いながらもやはりおもしろい。
八月末に会う約束をして、電話を切った。
「またね」の声が、思わず優しくなった。
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