Spilt Pieces
2003年07月23日(水)  発する
最近日記を更新していなかった。
別に忙しかったわけではなくて、書く時間ならたくさんあった。
それでも、書く気が起こらなくて放置していた。


自分の中から言葉を出すとき、自然に出来るときもあればエネルギーを必要とするときもある。
思うことがなかったわけではない。
むしろたくさん考え事をしすぎて疲れてしまっていた。
ここは言葉の吐き出し場所であると同時に、発さないことの意味をも自分に考えさせる場所なのかもしれない。
そんなことを、何となく思った。


いつも抱えている不安。
「言葉にしてしまったことは、どこかで満足を得て消えてしまう」
それが事実かどうかは分からないけれど、小さな恐怖であることには変わりなくて。
だから、一番大事なことは言いたくないし語りたくないと思うときがある。
堪えきれずに発してしまう場合もある(むしろ多い)。
でも、少しずつだけど、「発さないこと」を学びつつあるんだろうか。
言葉が好きで、話すことが好きだ。
だけど言葉を発さない自分も好きかもしれないと思う。
「発さない」ということは、誰かに何かを伝えるには不便だけれど。
私も、相手が目の前にいるのでない限り、沈黙の意味を捉えることはできないから。


僅かな言葉の羅列。
それだけで何が伝わるのかは分からない。
ただ、発することと発さないことの両方を知るのは、とても興味深いと思った。
形としての沈黙。
本質としての会話。
自分は何をしたいのだろう。
きっと、何もしたくなかった。
それが言葉のような気がしていた。


ほとんど毎日のように続けていた日記。
一週間放置して、それで何が変わったかというときっと何も変わっていない。
自分が言葉を好きなことや何か書くことを楽しいと思うことも今まで通り。
これからも、同じように気が向いたとき気が向いたことを書いていくのだろうと思う。
意図して書かなかったわけじゃない。
でも、書かないことで得るものがあるのだということも、今さらながら改めて知った。
発するばかりが手段じゃない。


誰かのこと、社会のことを批判することは容易い。
私は口が悪いし、言葉で相手を立ち直れなくさせることだってできると思う。
何を発すれば傷つけるのか、何がどう作用するのか、分かっていながら、それでも時に言葉を選べない。
私の中で意地悪な心が頭をもたげる瞬間。
そんなとき、皮肉めいた言葉を綴るのは簡単だけど。
ふと立ち止まり、優しい言葉を探す癖をつけてもいいのだろうと思う。
誰を誤魔化すのでもない、きっと自分を納得させるために。
綺麗事を並べたいわけではない、そして嘘を書きたいわけでもない。
日記って、吐き出すことも目的としてあるけれど、こういう使い方をするのもいいのではないかと思った。


一朝一夕で変わるようなものでもないとは思うけどね。
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