| Spilt Pieces |
| 2003年07月10日(木) 雑感 |
| 昨夜は寝つけなかった。 最近はよくあること。 母に言わせると、不規則な生活をしているからだという。 なるほどもっともな意見。 だが、普段布団に入って5分と経たずに眠りに落ちる私にとって、何時間も眠れないのはやはり疲れる。 結局、朝を迎える頃まで意識があった。 眠れない夜。 ゴチャゴチャと多くを考えすぎる。 将来のこと友人のこと、テレビでやっていたニュースやさっき読んだ本のこと。 何をするでもなく身体を横たえていると、なぜか涙が出てくる。 ちなみに、悲しいことを考えたわけではない。 以前このことを友人に話したら、同じような経験があると言われた。 彼女の場合、感情が伴っている意識はないのに、緊張場面に置かれると片目から涙が流れ続けるのだという。 そういえば私も本気で怒鳴ろうとするとき、泣きたいわけでもないのに涙が流れて話ができなくなる。 自分の意志とは無関係に零れ落ちるもの、と考えれば、一人で泣く分には何も困りはしない。 パソコンのエラーチェックをしている合間。 久しぶりに本を読んだ。 遠藤周作の描く話は、いつだって胸に痛い。 彼は何を考え、何を思い、何を歌って生きた人なのだろう。 彼の手から紡ぎ出される人間は、人間臭すぎるくらいに人間で。 優しさと哀しみ、愛おしさ。 「生活」とか、「生きる」とか、彼の言葉は単純で複雑。 そこから垣間見える人間を、好きだと思うし嫌だとも思う。 大きな海に放り込まれたかのようで、だけどそれは懐かしさも帯びているから。 泳げずに怖がる子どもな自分。 それでも根底にある色は求めているものだったのだと言って、泳ぎに出かけようとする青年の自分。 要するに私は現実主義者よりは理想主義者に近い。 空を見上げて池を眺め、海に涙し山を好きだと思う。 雨に打たれて考え事をすることも気にならない。 花を見るたび自然の営みと自分の生き方を照らし合わせてはしゃがみこむ。 古い家の暖かさ、色褪せた広告の頃。 時折現実に存在する雑音に驚かされて立ち止まりながら。 何かは見えているのかもしれないけれど、何かが見えていない。 精神年齢の鑑定をやったら、何度やっても30代より上だった。 私の中には、子どもと大人が共存している。 きっと、当たり前のことなのかもしれないけれど。 ふと気づいては、マバタキ繰り返し折り合いのつけ方を学ぶ。 長崎の事件。 誰もが言っているような言葉さえ思いつかない。 ただ、悲しい。 誰が得をするでもない、理由なき殺人。 泣く以外ないのに、どうしてこういうことが起きてしまうのだろう。 何かがどこかで狂っている。 中学一年の頃、自分は何を考えていただろう。 専門家と呼ばれる人たちの発する言葉は、ただ色褪せた万華鏡のようで。 ただ組み合わせを変えただけ。 響いてくるものが何もないのは、何もかも、目まぐるしく移ろいゆく時代についていけないからだろうか。 もっともらしい台詞ではあるけれど。 何でだろう、言葉になど何の力もないのだと。 そんなことを、考えてしまう。 弱い人が増えたのは、弱い人しか生き残れなかったからなんだろうか。 言葉で伝えられない気持ちが、触れるだけで伝わればいいのに。 今という世の中、何が足りないのか。 私の手は小さいけれど、それがいつか宙に投げ出されるばかりではなく何かを掴めるとするならば、何を選ぶだろう。 何を守りたいと思うのだろう。 誰よりも弱くて誰よりも強い自分が生まれるんだろうか。 うまく言葉にならない。 考え事は、いつだって瞬間瞬間を束ねた脆く儚い泡のようだ。 |
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