Spilt Pieces
2003年07月09日(水)  見知らぬ人
日曜に小学校へ送った調査依頼。
早い学校からはもう返事が来た。
届いたのは月曜だろうか、それなのに水曜に返事とはびっくり。
ちなみに「否」とのことなので嬉しい結果ではない。
既に他の調査を引き受けてしまって多忙なところと、学期末だから遠慮させてくれというところ。
勝手に資料を送りつけてお願いしているわけだから、「否」なら「否」とだけ書いてくれればそれで構わないのに、理由を書いてくれるあたり律儀だなあと思った。
結局協力はしてもらえないのだが、その心遣いがちょっと嬉しい。


インターネットを始めてから一年が過ぎた。
とはいっても日記を去年の今頃は日記を書くことと検索にしか使っていなかったので、まだ分かっていないことだらけ。
オンラインでの人間関係に戸惑うことも多い。
匿名性を帯びたときに態度が変わる人がいるとは思いたくないけれど、罵詈雑言が並べられた、悪意だらけのサイトを見たこともあった。
「見知らぬ人」が相手で、罪さえ犯さなければ自分が誰だか知られる恐れもない。
だからひどい態度を取るのか。
本音が見えておもしろい側面がある一方、時折人間不信にもなる。
人間の本質は、残虐性を帯びている?
そういえば、似たような心理学の実験を聞いたことがあるなと思い出す。
ひょっとしたら、真実以上の真実を見てしまっているだけなのかもしれない。
そう信じていたい、やや楽観的な自分。


「親しき仲にも礼儀あり」という言葉がある。
それはもちろんそうなのだろうが、個人的な意見としては、見知らぬ人にまで礼儀を払うことができる人に信頼を置ける部分も多い。
普段仲間内でふざけていても、肝心なときに節度ある態度を取れる人。
いい格好をしようと頑張っている人は、見知らぬ人にはきっと冷たい。
勝手な予想。
外面がいいだけの人もいるかもしれないし、違いは正確には分からない。
ただ、やはり相手を選んで態度をひどくする人は好きになれない。
そんなことをふと思う。


高校生の頃、私は「本当のこと」を探してばかりいた。
何が「本当の自分」で、何が「本当の相手」なのか。
途中から、流動的に変わりゆくものを定義しようとすること自体馬鹿げていると思うようになって収まったのだが。
どれもこれも「本当の一部」。
だからそれを否定も肯定もしない代わりに、現在進行形の自分を発展させることに力を注いだ方が建設的だ、と。
優しさも残虐性も、色んな矛盾する部分を含みながらも一人の人間がいるわけだから、一側面を見て判断するのは愚かであるように思う。
それでも、どうしてだろう。
残虐性が垣間見えたときの方が、真実であるように感じてしまう。
真実など求めまいと思っても、なかなかうまくいかない。
「理解」を進めるためには、それだけ相手を知らなければならない。
けれど、自分がそうであるように、自分を開いてくれる人ばかりとも限らないから、表れてくる面から判断せざるを得なくなる。
私が時折インターネットをひどく毛嫌いしてしまうのは、表れてくる面があまりにも部分的だからなのだろうと思う。
そしてそれが誰かへの悪意の断片であったなら、なおさら。
偶然行き着いたページに悲しくなって、ブラウザを閉じてしまう。
そういうページは、もう見ない。


「一期一会」とは、いい言葉だと思う。
すれ違いゆくたくさんの人の生き様。
それが一瞬だからといって粗末に扱う人もいるだろうが、一瞬だからこそ大切にする人もいる。
好き嫌いが激しい自分ではあるけれど、できることなら後者の人間でありたい。
昨日街中で通りすがった人、お店のレジで言葉を交わしただけの人。
きっともう二度と会うことはないのかもしれない。
顔も声も場所さえも、時間が経てば忘れてしまう。
けれど、だからこそお互いにいい感情で去っていけたなら、と思う。


書いていたら、何だか無性にバイトをやりたくなってきた。
成果がどれだけあるのか、なかなか目に見えにくいものではあるけれど、一瞬一瞬を大切にできる人に憧れる。
暇になったら接客業のアルバイト、探してみようかな。
明日はどんな葉書が来るだろう。
仮に「否」であっても、今日のような返事なら嬉しい。
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