| Spilt Pieces |
| 2003年07月08日(火) 分析 |
| 「私のことも分析してるの?」 共通の友人の話をしているとき。 友人が笑った口調で言った。 ふと顔を上げると、目は真剣だった。 すぐに言葉が出てこなくて、ファミレスのテーブルに頭を載せてしばらく唸った。 私は誰と接するときであっても、気づくと相手がどんな人なのか考えながら話してしまう。 彼女はこれを「分析」と表現したのだろうなと思う。 ちなみに「分析」は、自分がされて嬉しいことではない。 だから首を縦に振りにくかった。 無意識のうちにやってしまうことで、私の悪癖。 「どうだろう…しているとしても、悪感情ではないよ。そうでなきゃ、元々一緒にいたいと思わないし」 こう答えるしかできなかった。 要するに、多少はしているということ。 適切な言葉が見つからないけど、申し訳ない。 親しい人を「分析」してしまうのは、無意識とはいえ何だか裏切っている気がする。 信頼していないわけじゃない。 ただ、癖になってしまっただけ。 相互作用というか、自己開示というか。 相手が私のことを知りたいと思ってくれているなら、きっと相手も打ち解けて話をしてくれるのだろうと考えてしまう。 要するに、距離が遠い人ほど何を考えているのか分からないということで。 分からないと接し方に窮するので、いつの間にか「分析」する。 親しい人ほど安心しているので、「分析」をしなくなる。 だけど、たとえどれだけ傍にいても、私と相手は違う人間。 全て同じであるわけがないから、多少なりとも「分析」の対象になってしまう。 答えに詰まったのは、そういうこと。 「○○はこういう人かな」と、ある程度自分の中で考えておけば、相手をあまり知らなくても困らずに済む。 ただ、それは先入観であったり考え方の固定になってしまうので、できればしたくないし建設的ではない。 だから新しく相手を知るたびに、イメージを変えていく。 親しくなればなるほど、いちいち考えなくても不安を抱かなくなる。 「この人はこの人」と考えるには、それだけ相手を知らなくてはならない。 相手を相手として自分の中で受容するためには、ある程度のステップが必要だから。 ありのままのその人を好きになるというのは、とても素敵なことだと思うし、やはりそう思える人の傍にいたい。 時間がかかるから、最初は人見知り状態のまま、相手を観察することから始めてしまうのだけれど。 悪癖、と言ったのは、こういう、関係が初期段階の自分の状態。 一番近くにいる人は誰だろう、と考える。 答えは「自分」かなと思う。 生まれたときから一瞬だって離れていないわけだし。 だけど時折、そんな自分のことさえもよく分からなくなる。 むしろ、こんなにも近くにいるのに、ひょっとしたら最も理解不能な人間。 近すぎて見えないのかもしれない。 だから自分はどんな人間なのだろうかと考える。 これも「分析」か。 自分の力で変えることのできる唯一の存在であるにも関わらず、うまくいかないことが多い。 嫌いな人がいれば離れればいいけれど、自分の場合そうはいかない。 考えすぎるとうんざりしてくる。 よく知っている、というのはある意味諸刃の剣。 だから「分析」することもあれば、しないこともある。 自分にとっては、安心できるか否かのみが「分析」するかしないかの基準。 要するに、臆病なのだろうなと思う。 何だかごちゃごちゃと書きながら、これ自体「分析」になっているのだろうか。 他に適当な言葉が見つかればいいのかもしれないけれど、語彙力不足。 あーまとまらない。 私信:読んでいるのか分からないけれど千尋へ。 気をつけていってらっしゃい。 帰ってきたら連絡よこしなさい。 ええ、命令口調ですとも。 |
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