Spilt Pieces
2003年07月05日(土)  優しさ
「優しいね」
半ば感嘆の混じった声。
私の目を見ることもなく。
何を基準に?


私はいつも、相手の目を見ながら話をする。
もちろんずっと見ていては照れくさくなるので、時折逸らす。
こちらを真っ直ぐ見てくれる人であれば、それだけで安心。
言葉だけなら、いくらでも嘘がつけるからだ。
その証拠に、気まずいときや話したくないとき、私は相手の目を見ることができない。
目を使ってまで嘘をつける人は、きっと大悪党に違いない。
そんな、やや歪み気味な信念を持っていたり。


知識のある人が、声を大にして語る。
テレビの受け売りか、それとも有名な誰かの口真似か。
もっともらしい言葉を吐ける人は、いつだって態度が大きい。
私はそれが嫌いで、はいはいと言いながら心の中で首を傾げることも多い。
「普段の人当たりのよさの割に、見る目がシビア」
そんなことを言われた。
ふと思い返せば、時折笑って冷たい台詞を言い放っていたような。
人当たり、というよりは、オモテヅラがいいと言った方がきっと正しい。
我ながら怖い奴かもしれない。


ちょっと難しいことを知っているからといって、人間性まで優れているわけじゃない。
相手の欠点を論って責めるのは、自分が優越感に浸りたいだけだ。
他人の意見を受け入れるだけの柔軟性を持たない人が、とりあえずな優しさを表現したところで、嘘っぱち。
「分かるよ」という言葉が嫌い。
「分かる気がする」と言う人の方が信頼できる。
自分のことさえ分からないのに、他人をそう簡単に理解できるわけない、と思う。
ひねくれものな、私。


誰も、自ら進んで痛い思いをしたいわけなどないけれど、それでもやはり痛みを知っている人の方が他人の痛みにも敏感な気がする。
敏感だからといって、あまりに似ていると引きずり込まれる気がして倦厭する場合もあるので、優しくなれるとも限らないけれど。
ただ少なくとも、太陽のような眩しさで笑いかけられても、何も言えないことがあるのは事実。
自分にとって理解できない理論を押しつけられても、それは苦痛にしかならない。
相手は本当に親切で言ってくれているのかもしれない。
優しさって何だろう、と思う。


辛いときに励ましてくれる優しさだけではなく、何も言わないでいてくれる優しさ、もあって。
それは時と場合によって自分が求めるもの、の違いなのだろうか。
だとしたら相手からすれば皆目見当もつかないこと。
その直感が優れている人や、結果的に求められているものを提供できた人が「優しい人」か。
「優しい人」「優しくない人」の違いは、表現の仕方が器用か不器用かの違いなんじゃないかと、大胆な仮説を立ててみる。
答えは知らない。


本当の思いが伝わらないことがある。
逆に、偽善的な押しつけが周囲から認められることもある。
何が真実なのか、それはとても難しい問題のようだ。
罪さえも褒め称えられる可能性を持つ、巧妙な心理ゲーム。
全ては捉え方だけなのかもしれないけれど。
願わくば、駆け引きに勝てなくてもいい。
自分の中の真実が、偽善ではない人間になれますようにと。
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