Spilt Pieces
2003年06月30日(月)  漫画
私は、よく漫画を読む。
少年漫画には大抵、ヒロインめいた登場人物がいるような気がする。
少女漫画にも、容姿のいい男の子が出てきたりする。
恋愛をテーマにしたようなものは、最近あまり読んでいないが、昔は好きだった。
ほとんどが、紆余曲折を経て結果的には美男美女が結ばれるというストーリー。
そんな世界に憧れもし、うんざりもした。
「きっと現実はこんなことないのだろうな」
どこか冷めたことを考える子どもだった。


最近好きなのは、人間の本音を突くかのような視点。
悲劇を読みたいわけでもないが、ボロボロな面と美しさを兼ね備えたようなものに惹かれる。
綺麗事など、今さらおもしろいとは思えない。
ストレートで、感情が伝わってくるものが好きだ。
歌もそう、小説もそう、日常においてもそう。
現実をパテで塗り上げた、技巧的で表面的なものには共感できない。
友人が好きだと言ったものを何となく迎合してしまっていた時期もかつてあったが、今は仮に誰がいいと言っても自分の直感で違うと思えば私には必要じゃない。


悲しいときほど楽しい曲を聴きたいという人がいる。
私は、無理をしたがらない性格なので、自分の感情が上がらないときは放っておく。
むしろ、悲しいときほど悲しい曲を聴く。
自分の悲しみに浸りたいだけなのかもしれない。
ただ少なくとも、とことん落ち込んだ後は上がるしかないということを何となく知っている。
人それぞれ気分の盛り上げ方というのは異なるのだろう。
私は、自分の感情と合う音が好きだ。


沈んだときに空を見上げると、それが美しく澄んだ色であればあるほど、曇り空に見える。
空元気とはよくいったもの。
虚しさを背景に、空が笑う。
元気なときは、雨が降っても雷が鳴っても、空を美しいと思う。
激しさの内に潜む優しさを感じる。
きっと、本質的な空はいつも変わらない。


話が脱線した。


性善説・性悪説という言葉があるが、私はそれで割り切ろうとは思えない。
かつて性弱説などと勝手な言葉を作ったものだが、善か悪かなど、どう判断したらいいのかが分からない。
「いい人」が時折足を踏み外すと、周りは垣間見えた部分を本性だと思う。
「悪い人」が時折いいことをすると、周りはそれを本性だと言う。
かく言う私もギャップに弱い。
表に出す人間性など、多少経験を積んだ人であればどうとだってコントロールできよう。
「本当の悪人は、捕まらない悪人だ」
こう言ったら、友人に笑われた。
要するに、何が本当だか分からない。
私も、悪人なんだろうか。


人間は深くて、どこまで描いてもきっと描けないだろう。
残虐な殺戮を行った犯人の、心の奥底を誰がどこまで捉えることができるのか。
先日、福岡の一家惨殺事件の報道を見ながら父が言った。
「殺した方も、殺された方も悲惨だな」
殺した方も、悲惨。
きっと、真実だろうと思う。
仮に捕まらなくても。
仮に苦しんでいないとしても。
それでも、悲惨だと思う。
捕まらないのだとしたら、心に負った痛みや重さが。
苦しまないのだとしたら、苦しめない心に育ってしまった境遇が。
割り切れない。
ニュースを見る人々は、だがそこまで考えると痛みを引き受ける心がいくつあっても足りなくなる。
だから、他人事として噂する。
無責任で冷たい噂にさえ、その人の本心を見ることなどできない。


「人間」を描く漫画が好きだと書いた。
だが、それを完璧にできる人などいないのだと思う。
ただ、努力している人の視点は見ていれば伝わってくるような気がする。
恋愛漫画を嫌だと言っているわけでもなく。
ただ心ときめくような描写だけの漫画には飽きてしまうし、性的な過激さをおもしろおかしく描かれても辟易する。
少年漫画のヒロインが、いつもかわいらしく笑っている人でなければいいのにと思う。
少女漫画の思われ人が、上っ面だけじゃない人間性でもってかっこよければいいのにと思う。
人間の深さに挑戦したものを読みたい。
漫画は小説に劣るという人もたまにいるけれど、絵を効果的に使って心情に訴えかけるのが巧みな作者であれば、ずっと優れている場合も多い。
ギャグばかりの漫画も、時折ぐっとくる表現を挟める作者であれば、ギャグに笑うばかりではなく尊敬もする。
シリアスな漫画も、「何となく」美しさを求めているだけなら満足できない。


それにしても、我ながらごちゃごちゃとうるさい。
まあ結局のところ、フィーリングなのかもしれないけれど。
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